Y.SO.13

 

「本当に、ここが現場なんですか…?」

 昴の質問に、答えは返ってこない。

 ただ、気づいてるだろ? と言いたげな魔王の視線が、何よりもその解答を示していた。

 

 新人は大変だよなぁ、何よりも、みんなが忙しくしてる中で自分だけ仕事がない。仕事を探そうにも何をしていいか分からない。指示の一つでも与えてくれればいいのに、指示待つ行動そのものが甘えだなんて言われるわけだ。じゃぁ本当に好き勝手いろいろやってもいいのかよ、って問いかけたいよなぁ。まぁ、その孤独感と戦うのも新人の業務かもしれないけど。

 

 指示もなく放置され、一人立ち尽くしていた昴に声をかけたのは、黒衣をまとうミラージュ=アランだった。いまだに話しかけられると表情がこわばる新人を一切気にした風もなく、魔王は昴の隣に並ぶ。独り言かのように一方的に述べ、今日の目的地を顎で示した。

「店内に地下への通路が発見されてる。そこから下が研究施設だ。昔とは違って、最近は大掛かりな装置がなくても合成実験できるようになっちまったからな。摘発されるキメラ研究所なんて、こんな規模がほとんど」

 すらすらと説明する横顔の中にはこの異常を楽しんでいる節すらある。

 静かな笑みを浮かべる相貌と、日常を切り取っただけの眼前。見た目にはなにもおかしいところなんてないのに、昴が肌で感じる空気はおかしいところしかない。

 

「…………」

 

 いくら大都会でも、郊外に出ればこんなにも閑散とするらしい。

 今日、昴が討伐現場として連れてこられたのは、民家と商店が一帯を占める「義」の下町だった。

 目を伏せて、耳をすます。

 洗濯機が稼働する振動音。掃除機が挙げる唸り声。母親同士が下世話な噂話をしゃべり立てている。甲高く聞こえてくる笑い声は、幼い子どものものだろう。活きのいい呼び込みが本日のおすすめを謳い、店内を繰り返し流れる謎のオリジナルソングが妙に頭に残る。

 世界中にありふれた、地元に強いタイプの商店街。普段は買い物する主婦や学舎帰りの若者が多いのだろう。今日はこの一角だけ通行禁止令を出しているおかげで、関係者以外は誰も通らないが、それでも周辺に暮らす人々の生活音までは消せはしない。

 そんな、のどかな下町の風景。

 

 ……しかし、この場所で間違いなく異常が起こっていることを、誰よりも昴が理解していた。

 

 生活を彩るはずの音は、確かに耳に届いているのに。目に映る街の様子は、あまりにも平和な日常のままなのに。この身で感じる空気が異質すぎて、まるで遠い別世界の物語を映像で体験しているかのようだ。

 初の討伐業務となる研究施設に、昴はもう一度目を向ける。

 閑散とした商店街の空気に、違和感なく馴染む錆付いた扉。アーケードの下、鬱蒼と口を開けた二つの店舗。それが今日の現場だった。一見するとどこにでもありそうそうなその店は、両方ともすでに閉業しており、店内は空の棚と埃まみれの床が覗く。何の店だったかを示すのは、撤去されずに残っている看板だけだ。

 ジュエリーショップ「キンキラキンにあどけなく」。

 ペットショップ「断罪」。

 しん、と静まり返る空間。どれだけじっと見つめたところで、目に見える変化はなかった。当たり前だ。変化がないから、今まで見つからなかった。

 そのとき、昴は違和感の正体に気づく。

 誰もいない、誰も住めないと思っている店から、感じるのだ。

 物音も異臭もない。けれども、自然界に存在する何者でもない存在の気配が、埃に包まれた薄暗い店内からにじみ出てきている。

 

 ここには、何かがいる――

 

 ……いや、何かって、キメラって分かってるんだけど。

 

「捕まった研究員は二人。それぞれの店の店主だった。一週間ほど前にペットショップの男が見つかって、調査の結果もう片方もお縄に。後には研究所だけが残る。二件の店舗それぞれの入り口から地下はつながっているらしい。魔法による封がされてるから、キメラが街に出てくる最悪の事態は避けられた、という感じだ」

 ありがたくも事情を教えてくれたのは、やはり魔王だった。

 書類片手に告げる今日までの経緯を、なぜか直立不動の気をつけ体制で聞く昴は、呆れ顔の「楽にしろ」を聞いて小さく息をつく。そして遠目に記録をつけるベレルたちをちらりと確認してから、ミラージュ=アランに向き直る。

「キメラの存在は、確認されてるんですよね…?」

「この中に生き物がいる、と確認できた段階で調査員は撤退したんだと。その後すぐにお前らに情報が入って、俺のところにも協力依頼が来る、って流れだな」

 これまで説明もされなかった今日までの経緯に、素直に驚く。そんなのニュースになっていなかったと言うと、そりゃコーツも流す情報選ぶだろ、と真面目に返された。

 そうだった。キメラの現状についての情報は、現在一般公開されていない。しかしそれも、いつまで隠し通せるのか。こんな町中で発見されるようでは、世間に見つかるのも時間の問題のような気がした。

 痛々しい沈黙が己に降りかかる。気の利いた返しの一つでもできればよかったのに、言葉を探しているうちタイミングを失ってしまった。何か言おう、そう思っても、何も出てこない。共通の話題も素朴な質問も、沈黙を遮ってまで言い出す内容かどうかを吟味している間に、あえなく自分で却下する。

 

「アラン、」

 不意に、隣奥から声がかけられた。少しトーンの高い、はっきりとした声。

 自分宛でないことはすぐに分かったが、昴もまた声の方を向く。むせかえるような薔薇の香りが鼻にぶつかった。

 

「……魔女、だ」

 

 あぁ、この人も、見た。

 今朝、魔王城で言い争っていたがそういうことではなく。八年前の総決算ラグナロク、魔王の隣に立っていた女性。気が強そうな錆浅葱色の瞳と、今時めずらしくもない花人の若苗色の腕が目に入る。

「あら、フォードさんとこの新人くんじゃない。どう? うちの大将。いい男でしょ?」

「やめろ恥ずかしい」

「ヴィランズには惚れていいけど、この男には惚れちゃだめよ? だって、このあたしが愛した魔王様なんだもの」

「やめろ恥ずかしい」 

 昴に向かって得意げに告げるツナミに、魔王からの制止が飛ぶ。しかし魔女は反省の色を見せず、昴の返事も待たずにころっと話を変えた。

「それはそうと、準備は終わったそうよ。まったく、パッと入ってササッと倒しちゃうわけにはいかないの? 記録がああとか承認がどうとか、面倒でしょうがないわ」

「でもちゃんと記録残ってないと困るのは情報屋なんだろ?」

「そうなのよ! なんでそんな仕組み作ったのかしら……」

「俺にも言われても」

 腕を組んだアランが怪訝な目をして答える。レディローズ=ツナミは、結論が出ない返事を気にすることもなく、続けて尋ねた。

「それで、二手に分かれるんでしょ? どう分かれるつもり?」

 その言葉に自然と耳が集中する。ミラージュ=アランに向けた言葉だが、自分もかかわってくることは予想がついた。

「あぁ、それは……―」

 

 

     ***

 

 

 わんわんと泣く悲鳴が、地下道にこだまする。ぎゃあぎゃあと喚く悲鳴は、途中で消滅する。

 言語にならない悲鳴を叫びながら暴れる異形の魔物。

 ネコの爪、トリの嘴、サルの手にイヌの足、トカゲの眼に、サカナの尾。考え得るすべての組み合わせを、まるで解きかけのパズルかのように挑戦して放置した、実験サンプルにして産業廃棄物。それが――キメラ。

 その中の一つ、サイズが合わない頭と胴体を無理やり接ぎ木したような首を、ベレルは一切表情を変えずに切り落す。

 部屋に充満する鉄のにおい。

 鉈から滴る血液を手袋ごしに感じて、ベレルは自然と笑みを浮かべる。ぬるりとした生暖かさは、先ほどまで異形が生きていた証であり、今まさに死んでしまった証でもあった。こうして掌に受けた血がみるみる温度を下げていくのを感じると、ベレルは逆に自分が生きていることを実感する。

 

 地下に降りた研究所の調査は二手に分かれ、その片方がツナミ、みこと、ベレルのグループだった。魔王と室長からの指示に従い、三人はひたすら化け物を駆除し続けている。

 首を落とされ、無事に死体となった異形を火葬するのはツナミの役目だった。空を撫でるように緑の腕が舞うと同時に、毛が燃え、皮を炙り、肉を焼く。沈んだ赤が、彼女の愛する鮮やかな紅に呑まれていく。

 数ある化け物のうちの一匹が灰になるまでを見届けてから、薔薇の花人はサッと髪を散らして少年の方を振り返った。 

「緑豆、そっちの様子はー?」

「しれっとチビ扱いするんじゃないのだ!」

 本日数回目のやり取り。緑豆と呼ばれたみことは、抗議しながらも化け物に拳を叩き付ける。鳥の足をつけたネコのようなモノ。羽に包まれた肉が地面にのたうち回り、それに合わせてゴツンゴツンと硬い音がした。あたりには文字通り黒猫の羽が散っていく。

 

「思ったより生きてるヤツが多いのだ」

 

 照明器具がまだ稼働するおかげで、暗闇ではなくなった地下室。薄暗いそこに潜んでいた《生物》の数に、みことは素直に驚いていた。

 基本的に合成の実験は、失敗、つまりは素材を死なせてしまうことが多い。みことがこれまで行った研究所でも、用心していった割に生存するキメラはおらず、死体処理だけして帰ったことは何度かある。そんな経験から言うと、今回はだいぶ生存率が高いといえた。

 吹っ飛ばした先、引き攣ったような鳴き声に敵意が見える。殴られた衝撃で内臓にダメージがいったようで、キメラはこちらを睨みながらも動くことができない。

 その隙に爪鋭い足元からは植物の芽がしゅるりと伸び、そして。

「ただ生きてるだけなら、死んだ方がましだわ」

 薔薇の劫火に包まれていった。

 

 キメラは不遇の異端物。駆除といっても、ただ息の根を止めればいいわけではない。求められている結果は存在の消去だった。物理的には、死骸の完全消滅。精神的には、記憶にすらとどめるな、というのが街からのお達しだ。んな無茶な。

 煌々と輝く花園(かえん)に、ぽつんと残る白い塊。その骨をヒールで踏みつぶし、ツナミは一人、あたりを見渡す。

 断末魔の悲鳴も、熱さに苦しむ最後のあがきも、何一つとして生きた痕跡を訴えることもできず、人工の化け物はただ消えていく。圧倒的な実力差があったとはいえ、一つの命が散っていったというのになんともあっけない幕切れだった。

 

 ……一つ?

 

 不意に頭の隅をつついた違和感を、ツナミは無言で追究し始める。

 キメラは多生物の融合体。素材となった動物・魔物たちも合わせると、今見送った一体に、いくつの命が詰め込まれているのだろうか。そもそも、キメラとなったときに、元の生物は死ぬのだろうか。それとも生き続けているのだろうか。仮に生き続けていたとして、キメラとなった己を見て、どう思うのだろうか。そんな化け物の姿になってまで、まだ生きたいと思えるのだろうか。

 

 ……いいえ、今するべきことじゃないわ。

 

 さらに考え込みそうになった思考回路を、今度は強制的に遮断する。長くなりそうな自己問答。しかも答えは出そうにない。ならば、そんなことにかまけている暇はなかった。

 依然として、花園は見頃を迎えている。

「ペットショップ、と聞いた時からこんな気はしてたけど、店の売り物を材料にしてたのね。それでこれは、隣の宝石店の品物かしら。……キメラって、そんなものまで合成できるの?」

 何度目かの火葬を見送って、ツナミは一人バラの献花と質問を宙に投げた。返事があると見越した、ブーケトス。解答はすぐ近くから聞こえる。

「近年、二種類の生き物を合成したモノがキメラ、という認識も固定概念となってきまシタ」

 現在いる部屋からキメラの気配がすべて消えたのを確認して、ベレルが鉈を引きずって歩み寄ってきていた。もとは白かった手袋とジャケットの裾が返り血に黒く染まり、彼女の周りだけ猟奇的な雰囲気が漂う。カチャ、と直した眼鏡が照明を反射し、彼女の眼から色を奪っていた。

 

 ベレルによると、技術の確立からおよそ百八十年を経て、キメラは新たな進化を見せているという。セリフにもあったように、二種類の生物を合成する段階はとうに超え、三種類以上の生物を一匹に混ぜてみたり、無機物との合成も珍しくない。

「むしろ、無機物の方がキメラの生存確率が高いので最近増えていマス。しかし素材の特殊効果がないコトも多く、用途としては主に観賞用に創られるようデスね」 

 確かに、石との合成で何らかの特殊能力を得ることは難しいだろう。宝石そのものには『美しさ』以外の特色が見当たらない。

 いくら《予想外》のキメラとはいえ、存在しない能力を突然発生させることはできない、か。

 ツナミは足元に転がる一つの亡骸に目を向けた。明らかに生来のフォルムを逸脱し、それでいて不自然さが見当たらない異形の骨格。まだ崩れていないその中に、透き通るように光る蒼の破片が燃え尽きずに残っていた。

 細かく傷が入ったそれは、骨を石座に、灰を爪にして、まるで一つの宝飾かのように遺骨に埋もれている。

 死してなお美しい、異形の芸術品。

 自然界には絶対存在しないはずなのに、あまりにも生物的な異端の美。

「……今回のキメラ素材ハ、小型の哺乳類を中心としたケモノ、それと装飾用の鉱石、大まかにはこの二種でよろしいでショウか?」

 ベレルが、手元の小型機械に部屋の様相を記録する。

 

 地下室で遭遇したどのキメラも、イヌやネコ、サルなどの動物を合成していた。今目の前には、鉱物が細胞の一つとなった遺骨が転がっている。どちらも自分の目で確認した事実。ツナミは小さく頷く。

 雑多なキメラの大群を駆除し終え、一行は隣室へと移ろうとしていた。最奥を一気に目指したアランたちとは異なり、ベレルたちは入口に近い場所から一室一室を巡っている。

 遠くで吠えるケモノの声に、血の匂いが混じる。床に塗られた赤黒いペンキは、昨日今日ついたものではなかった。うっすらとした廊下の電灯に照らされ、鉄製の扉は物々しく三人を迎える。雑音や光、ケモノ臭すらも塞ぐ重厚な遮断機。中の様子はうかがいしれない。

 先頭に立ったみことがドアノブに手をかけた。

「生成目的は観賞用、趣味の延長での合成という見立てデスが、」

 少年の背後斜め上。独り言のようにベレルがつぶやくと同時に、ガチャと鉄製の扉を開く。

 そして、

 

「……それは、たぶん違うのだ」

 

 ほうじ茶色の瞳が、否定を、述べた。

 驚きも嫌悪もなく、目の前をありのまま受け入れた目がまっすぐ室内をとらえる。

 

「これは、趣味でやったことなんかじゃ、ないのだ」

 

 重苦しい鉄の扉の先は、廊下よりも明るく、穏やかな空気が流れていた。風もないのに舞い上がるカーテンが、室内の影に動きを与える。

 白を基調とした壁に、フローリングの床。大人数用のソファとテーブル、本棚には小さな観葉植物が飾られている。人工灯がまるで窓から注ぐように配置され、雰囲気だけなら心地いい昼下がりを演出していた。

 まるで絵に描いたような、一軒家のリビングがそこにあった。毎日丁寧に掃除しているのだろう、清潔感と清涼感が満ちている。

 しかし、生きているヒトの気配は存在しなかった。モデルルームのわざとらしさとでも言うのか。巨大で架空のジオラマの中にいるような、無理やり誰かの存在をそこに置きたがっている空気が、陽だまりの中に沈んでいた。

 ……異常だった。生活の気配というものは一切感じられないのに、確かにここには何かが住んでいた。誰かの帰りを、待っていた。

 中央、奥。この部屋唯一の何かが、いる。床に敷いたカーペットの上に座り込んで背を向けている。

 柔らかな髪を一つにまとめ、エプロンをまとった、女性、だったもの。

 

〈おカえりなさい〉

 

 優しい声とともに振り返った表情は、……微笑んでいた。その顔の半分には、歪に尖った原鉱が生えていた。研磨されていないくすんだ鉱石が埋まったままの顔半分に、穏やかな笑みを浮かべていた。

 満足したように首をもとに戻すと、何がおかしいのか「ふふふ」と息を漏らす。右目の周りと口元の半分、ほくろがない方の頬を残して、まるで、……どころか見たまんま宝石箱の様相を呈した首が、細い肩に乗っていた。袖から見える手にはつるりとした石が見え、正座した足からは鋭く研がれた石が室内着を破る。

 

 キメラだった。化け物となった元人間であることは、一目瞭然だった。

 

〈ヨウちゃん、タクちゃん、手を洗ってラっしゃい〉

 

 そのキメラは、普通に人の言葉を話していた。まるでいつも言っているセリフを述べるかのような流れで、座り込んだ状態のまま、手が一定の動きを繰り返していた。

 そのキメラは、存在しない洗濯物を畳んでいた。時折、汚れが残っていないかを確認するかのような動作が、まるで本当に布地がそこにあるかのようなリアルさを出していた。

 

「…………データがありマス」

 ぽつりと、ベレルが口を開く。感情が読めない瞳が、一瞬だけクッと歪んだ。

「行方不明になっていたペットショップ『断罪』のご家族、……その奥様が、あの方デス。これで、残りの行方不明者は、息子さん方二人のみになりマシタ」

 冷静な一言。返り血がついた銀縁眼鏡の位置を直す。

「旦那は、自分の家族すらキメラにしたの?」

 化け物から一切目を離さないまま、静かに尋ねるツナミに、ベレルが調査結果を照合する。

「いえ、あの素材は鉱石デスから、……おそらく、やったのはジュエリーショップの店主かト。旦那が捕まった際にも意味深な証言が残っていマス。曰く、『宝石商が裏切った。あの男が大事なものを奪った』」

「……つまり、他人の家族を勝手に実験台にしたのね」

 呆れた、と髪を払うツナミの薔薇が、ざわざわと茂り始める。

「それで、どうするのだ?」

「反応次第ね。緑豆、何かあったら真っ先に突っ込んで」

「豆言うな! でも、分かったのだ」

 ツナミの指示に従い、みことがもう一歩前に出る。その距離がテリトリーを侵食したのか、キメラは弾かれたようにぐるんとこちらを見た。

 見開いた眼の片方は紅結晶に埋もれている。その澄んだピンク色の内部に、ほのかに光が走る。

 

〈ヨウちゃん、じゃなイわ。どなタ? うちのヨウちゃンはどこ?〉

 

 ツナミは気を引き締める。わざとらしく芝居がかった動作で、襟を正す。腰に手を当てたポーズは、それでも自然体とは言いがたい。モデルがカメラの前でかしこまるような、そんな違和感を与える。

 その気取った姿で、慎重に、まっすぐに対象を見つめた。

「あなた、隣の店主とは、どんな会話をしたの?」

 対話が成立するかどうか、それはキメラの完成度を計る指標となる。もし「商品」になるようだったら、安易に殺すわけにはいかない。

 

 ……だって、アランが悲しむもの。

 

 ツナミの行動原理はそれがすべてだった。あの男は、自分が悲しんでいる様子なんて絶対見せないだろうが、少し目を細めただけでツナミには分かってしまう。

 どうせなら、惚れた男には喜んでほしいじゃない。

 ツナミの言葉が聞こえたのか、キメラはビクンと体を打って、手を止めた。数秒の沈黙から、振り返ることもなく小さな声でぶつぶつとつぶやいている。

 華奢な後ろ姿、肩が震えていた。

 数秒待った末に絞り出された返答は、しかし、およそツナミの予想を超えて。

 

〈ちガうの、あなタ、ちがウのよ。宝石屋さンとは、なンの関係もなイの!〉

 

 頭を抱え、焦った声で首を振る。

「…………、……あぁ」

 あー、あぁ、うん。なるほど。

 ワンテンポ遅れて、察したツナミが目をしかめる。

 理解。店主も店主だけど、奥さんも奥さんってわけね。なーにが「キンキラキンにあどけなく」よ。あどけなさゼロ、邪気しかないじゃない。というか、キメラの《予想外》をこんなところで持ってこなくていいわよ…!

 呆れ返ったつぶやきが漏れる。

「あんた、子どもが二人もいながら……」

 

〈ちガうの! アレは、向こうカら言ってキてしかタなく!〉

 

 あぁ、これ絶対に仕方なくないパターンのやつ……。

 にしても温厚そうな顔立ちでやることやってるわね。なんなのこれ、旦那さん絶対知らなかった感じでしょ。ペットショップ店主がどんな奴かは知らないけど、奥さんに裏切られ協力者に裏切られ、ってなんかもう絶望しかないわね。いやー、お先真っ暗、人間コワイ! 魔王なんかかわいいもんだわ。

 ひきつった口元を隠す。音にして吐き出したいため息を、薄く開けた唇から逃がして、ツナミは美しく揺れる髪を払った。

 さぁどうしようか。大ぶりな動作で頬に手を当てる。

 そのとき、緑色の腕に巻かれたショールが引っ張られた。クイクイと肌を張る感触に、見下ろした視線の先。身長150センチメートル。

「あの人は、なにが違うのだ?」

 頭上に疑問符を浮かべまくった、それこそ本物のあどけない瞳が、ツナミの顔を覗き込む。

 

 ……うん?

 

 赤い髪に紛れるように薔薇の花びらが数枚、はらはらと散っていく。

 これ、教えるべきかしら。世の中の真実というか、大人の階段を一つ上らせる? こんなところで? というか、あまり説明もしたくないというか、これを説明できる自分が嫌というか。やめて、この状況でその無垢な目をやめて。

 ツナミは解答に惑う。なんと言っていいのか、そもそも解説するべきなのか。困って、困って、困った末に。

 パスンッ。

 フードに覆われた頭を、思いっきりはたいた。

「いたっ」

「子どもは知らなくていいことよ!」

 ずるいのだ! みことにも教えるのだ! とわめく声を完全に無視して、全く動じないベレルは警戒を促す。

「来マスよ」

 血の付いた指で眼鏡の位置を整え、記録用の小型機械をしまう。ショートスカートにぶら下げられた鉈に手をかけたとほぼ同時に、女性の形をしたキメラが立ち上がった。

 

〈ちがウのヨっ!〉

 

「駄目ね、『商品』にはならないわ。みこと、行って!」

「後で絶対説明するのだ!」

 最後のセリフを皮切りに、アンバランスでミスマッチな緊張感が部屋を包む。

 

 のどかで平和な、遊びに出た我が子を待つ母親の空間、だった場所。

 ……もし自分がここに入らなければ、あの泰平は永遠に続いていたのだろうか。この場所でずっと洗濯物を畳んでいるのが、アレの幸福だったのだろうか。

 

 頭に一瞬よぎった仮定を、ツナミはすぐさま消し去る。

 同情では、大事なものは守れない。人は、常に何かを選ばなければならない。それは生き方であったり、覚悟であっても。

 このヒトは今、優しい母親という人間を、捨てたのだ。

 ツナミは口元に笑みを浮かべる。

 

「それじゃぁ、同じ化け物として、一生懸命殺しあいましょう?」

 

 キリリと吊り上がった錆浅葱色が、静かに愛をささやいた。

 

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