Y.SO.13

 

「ヨウくんだけは、絶対に殺させないからな!」

「へぇ、じゃ、せいぜい守ってみせな」

 

 子ども部屋を抜けた、本当の最奥空間。それは寝室だった。二つ並んだベッドは大小に分かれており、その両方が大人の体を収めるには長さが足りない。子ども用のベッドが二つあるだけの部屋だった。

 そこから聞こえる、言い争い。

 

 ……どう聞いても、対話だった。

 

 ミラージュ=アランが入っていったのは知っているが、それ以外にも話す人物がいるという証明だった。別行動していた三人であるという可能性はほとんど考えていない。第一、入り口付近で別れたメンバーと最奥で出会うとはどんなダンジョンだ。ワープ装置でもあるのか。 

 ドア付近に仁王立ちした魔王に背後から近寄り、失礼しますと心で詫びてから恐る恐る中を覗く。

「仲間を呼んだか! この悪党め!」

「ほぉー。悪党なんて言葉を知ってたか」

「馬鹿にするな!」

 

 そこにいたのは、子どもだった。

 つまりは、この部屋の主だった。

 

 壁にくっつけたベッドの上で、まっすぐに自分たちを睨む十歳ほどの子どもが、誰かをかばうように、アランの前に立ちはだかっていた。

「この子ら……」

 小さな声で漏らした昴に、アランは首も表情も動かさず答える。 

「安心しろ。ちゃんとキメラだよ。……両方ともな」 

 まったく感情のこもっていない口調だった。金色に深く光る瞳をすぅと細める。

 やっぱり……。昴はあまりの事態に目をそらしたくなる。歴史の教科書にあった通り、本当に人間を使ったキメラは存在したのだ。それも、こんな日常のすぐ裏側で。 

 キメラだと断定された十歳ぐらいの少年は、一見するとただの少年だった。普通に生活していてなんらおかしいところはなく、こんな場所に置き去りにされた、ただの一般人のように見える。

 しかし、一か所、明らかな異物が確認できて、そこから目が離せない。そのたった一つの異常が、少年を人間ではないモノにしていた。

 

 右目と、目からこめかみを通った額の皮膚から覗く、数種類の鉱石。生えていると表現するべきソレは、少年の顔に当たり前のように収まって、いびつな造形美を感じさせた。 

「もしかして、……この子らも殺めなければいけないんですか?」

 愕然と発した昴の言葉。 

 その意味を解したらしい少年は、一度目を見開いてから眉間にギュッとしわを寄せた。精一杯の怖い顔をして、一生懸命敵意を送っている。

 一方相対するミラージュ=アランに動揺はなかった。喚き散らす少年をただただまっすぐ見つめて、昴の質問に回答する。

「それをこれから決めるんだよ」

 武器だった矛はすでに片付けられ、片腕は腰に、もう片腕はだらんと垂れ下がっていた。力の入らない片足重心。相手を舐めきったその態度は、本来油断として隙を作るはずのものなのに。

 静かすぎる表情が余裕を生み出す。子どもを威圧している。

 

「でも、こんな子ども、殺せるわけ…!」

 もう何回目かも分からない「信じられない」を全身から主張して、昴は一歩、中に踏み込む。

 

 ……嫌だった。実験の被害者ともいえる子供が、それでも見た目が化け物だからと殺されることに納得なんてできなかった。私情も混ざった非難の意思。わがままで甘いと言われても、小さい命を刈り取るには責任が重すぎた。昴は化け物を殺せても、人間を殺す覚悟はない。 

「では、どうする?」 

 魔王は怒らなかった。否定することもなかった。

 ただ一言、代替案を求めた。

 ニィと歪めた目で昴を見つめ、現実的な案を求めていた。 

「そんなの……、どうすれば……」

 殺したくなかった。だが、彼らが生きる道も見つからなかった。もう一度、少年を見つめ、その異常性を再確認する。

 昴の視線が下に向く。声に力がなくなる。

 

 どうすれば、いい。

 

 せめて話をしようと、もう一歩前に進んだ、瞬間だった。

「バカ! 近づくんじゃない!」

「え?」

「ああああ! やから注意しろ言うたやん!」 

 顔を上げた。目の前には、ぼんやりと光る鉱石の塊。その目が、自分を必死に睨んで、そして。

 

「こっちに来るな!」

 

 視界を、白が埋める。

 コンクリートがガレキになるような爆発音が、狭い部屋に響いた。

 

 ………………

 …………

 かはっ、という苦し気な息を漏らしたのは自分ではなかった。

「フォード! 生きてるな?」

「死んどるわー」

「ならいい!」

「ちょっと待てぃ!」

 またもや頭上を飛び交う報告の応酬を耳に入れながら、肩と腕に染みるじくじくとした痛みに顔をゆがめる。一歩遅れて背中に走る鈍痛も頭の隅に置く。 

 しかし、生きていた。程度的にはかすり傷と呼ばれる程度で済んでいた。

 光が視界を覆う直前に見えたのは、少年の額に現れた紋様。そして、昴には読めない文字で何かが発動していたということ。

 光が視界を覆った直後に感じたのは、脇腹あたりへの衝撃。そして、思いっきり吹っ飛ばされ壁に叩き付けられたということだ。

 地面に横たわった状態のまま、昴は先ほどまで立っていた位置に目を戻す。

「…………っ!」

 そこは相変わらずの、子供の寝室。

 ひしゃげたドア枠と、腹部を抑えた室長。

 そして、少年を壁に押さえつけて、その細い首をつかむ魔王の姿。

 

 ……昴は理解する。

 かばわれたのだ。後ろから追いかけてきた室長によって、昴は攻撃を回避し、その代わり室長が攻撃を受けたのだ。

「…………あ、」 

 何を言っていいか分からなかった。ただただ、やってしまったという感覚と、即座に湧き上がる申し訳なさで潰されそうだった。自分がしでかした失敗に、自分で責任を取ることもできない。 

 とにかく、立ち上がって謝ろう。そう思って、足に力を入れたとき。 

 ぶわり、と腕に鳥肌が立つ。毒々しい魔力がぞわりぞわりと空間に満ちる。三十年前のあのとき、八年前のあの日、画面の前で感じた、実際に目の前でも浴びた、おぞましい魔力の雰囲気。

 王の存在感を間近で感じる。今この場で感じる魔の力など、たとえ味方だとわかっていても、身が硬直する。どくどくとおぞましく、ひたひたと這いよるように、じわじわと近づいてくる死の気配。 

 脳では言葉にならなくとも、己の肉体が雄弁に語っている。今すぐにでも世界が滅びてしまうような、今まさに命が生死を彷徨ったような、腹の底がひゅっと冷えるこの感じ。認めたくはないが、それはまさしく恐怖の体言化だった。

 

「フォード、」

 

 その空気に馴染んだ、静かな声が溶け込む。

「斧は、もう持てないな?」

 確信を得ていた、確認のセリフだった。問われた方、室長へ注目を移動させる。せやなぁ、と軽く返す室長の額に、脂汗が浮かんでいるのが見えた。ブラウスに赤いしみが広がっていく。腹を抑える手のひらに、ぐ、と力を込める。

 怪我をさせた、という事実を昴が再び認識する。頭と心が急激に冷えていく感覚は、安直だが、死んだほうがましだと言っていた。

 

「……なら、昴」

 

 一切振り返ることなく、魔王は淡々と言葉を綴る。

 その表情はどんな色をしているのか読めないが、想像はつく。きっと、どんな色もしていないのだろう。穏やかで壮絶な無の表情が、ただそこにあるのだろう。

 呼ばれた名前にバッと顔をあげた若造へ向けて、アランは指示を出す。

 

「これを、……殺せ」

 

 音と同時に、どろりとした空気がさらに重くなった、気がした。

 何を言われているのか分からなかった。分かりたくもなかった。同時に、なんで自分が、と思った。少年の体は、今魔王本人が押さえつけていて……――。

 

「そっちじゃねぇ。下にいるだろう? もう一匹が」

 まるで昴の思考を読んでいたかのように、魔王は続ける。言葉につられて、ベッドの上を見た。壁に縫い留められた、鉱石纏う少年、その足元に。

 

 兄の後ろにずっと隠れていた弟のキメラが、いまだそこにいた。歪に醜く合成された、異形の子どもがそこで震えていた。

 

 光もとに照らされた弟は、兄以上に異常な姿をしている。

 かろうじて言い切れるのは、元は人間であったことと、一体の動物を合成されたわけじゃないということぐらいか。獣のような、鳥のような、鱗もある、さまざまな生物の集合体のような化け物が、それでも生きていた。ぱくぱくと小さく動いた口から、呼吸音が漏れている。

 

「おにい、ちゃん……―」

 その声を、言葉を聞き取った瞬間に、生理的な恐怖が体を通り抜けていった。

 

「やめろ! ヨウくんに手を出すな!」

「威勢がいいな。そんなことを気にする余裕があるのか?」

 文字通り命を掌握されているはずの少年が、喚き散らしている。そんな抵抗もなんのその、ニヤリと笑う魔王は、まさに悪の擬人化を思わせた。

 

 そしてその囁きが、自分すらも唆す。

「……このキメラの『存在理由』は、弟を守ること、だ。おそらく自分で決めている。生きる目的を自分で決められるほどのキメラなら、価値はある。……だが、下に転がっているそれは、もう駄目だ。合成すらうまくいっていない。自分で死ぬことすらも選べない《不良品》は、処分するしかない」

 

 まさに悪の片棒を担がされたかのような、そんな印象は、間違っていなかったのだ。魔王はどれだけ憧れても、魔王でしかなかったのだ。

「だから殺せ。そしてこいつの、」

 

 ドスッ。

 

「『存在理由』を壊せ」

 

 アランは、暴れていた兄の顔のすぐ横に小型のナイフを突き刺した。脅し用だとすぐに察したが、少年は間近に感じる刃物の気配に「ひっ」と喉を引きつらせる。

 その様子は、本気で殺人鬼に怯える、いたって普通の十歳児で。

 いくらキメラになっても、心は人間のままなのだと、昴に理解させる。

 

 弟を守りたいのに、力がない。キメラの子を助けてやりたいのに、力がない。身を震わせる少年の感情は、昴が感じているものととてもよく似通っていて、そしてその分だけ無力さを痛感した。

 

「……昴、できるな?」

 魔王が目を細めて言う。強制されているわけではない。できるからと言ってしなければならない訳ではない。

 だが、

 

「本当に、『不良品』なんですよね……?」

 

 覚悟を決めるしかなかった。生きてることに罪はないのに、生きていく場所がないから、生かしてあげることもできない。

 これは、仕事なのだ。給料をもらう分は働かなければならない、社会人の責務なのだ。最終的な言い訳に、自分の職務という勝手な都合を押し付けて、正当化する。

 

「あぁ。不良どころか、処分品だ」

 

 アランは再度頷いた。慈悲や情けとは無縁の声色は、魔王という存在の冷徹さと厳しさを示していて、無表情な顔に凄みを感じさせる。

 

 これは、仕事なんだ。

 ごめん。

 ごめんな。

 なにが助けてやりたい、だ。結局はこうすることしかできないくせに。

 

 せめて、せめて楽に、死ねますように。

 

「ヨウくんっ……!」

「にいちゃ、……―」

 

 今一番苦しいのは自分じゃない。死んでいくこの子と、残されたもう一人の方が、何倍も苦しいはずだ。

 そう思っても、視界はにじみ、ぼやけていく。

 

 ………………

 

 昴は、得物を握る。

 

「ごめん。ごめんな……」

 元人間、死にかけた弟のキメラの首に、血に濡れた己の手を添えた。

 耐えるように歯を食いしばる。凶器を持つ利き腕に力を籠める

 

 ……コトン。

 

 一瞬で済んでしまった。あまりにもあっけない命のやり取り。

 幼い身体を支える自分手のひらから、命の温度が抜けていく。

「…………あぁ」

 

 弟を呼ぶ幼子の声が、いつまでもいつまでも、部屋に響いていた。いつまでもいつまでも、昴の耳に残っていた。

 

 ………………

 …………

「あー、今ベレルちゃんからの報告見たわ。あっちにも鉱石キメラはおったみたいやな。報告によると、コレの素材は……魔力増幅のマジックアイテム、やって」

「なるほど。じゃぁこいつも同じか。どうりで、ただの魔力の塊にしては威力が異常なわけだ」 

 ミラージュ=アランはひょいとつかみ上げた小さな体を、ぞんざいに担ぎ上げた。

 弟が死んだと分かった瞬間に、放心して崩れ落ちた少年のキメラ。

 最後の最後まで魔王を睨んでいたが、今は穏やかに眠っている。 

「威力を増幅器で底上げ、地面がえぐれるほどに精度を挙げて、しかも完全に制御下においてた、と。これは『成功作』の可能性あるな。あ、フォード、応急処置終わったか? まだいける?」

「戦闘以外ならまだ平気やで」

「じゃぁもう少し我慢してろ」 

 長い一日を終えて舞い戻った地上が、新人を出迎える。生物の気配が完全に消え去った最奥の部屋を抜けて、アランとフォード、昴のグループは今、店舗の玄関前に戻ってきていた。

 

 見上げた先は、夕焼けの赤い空。遠いカラスの声と、さぁと肌を撫でる風が、なぜか懐かしい。こもったケモノ臭から解き放たれ、無意識に肩の力が抜ける。

 残りの三人は、ほかの部屋からキメラの生体反応がないかの最終確認を行っているという。もう直に帰ってくるで、と告げたのはフォードだった。足取りしっかり歩いていることに安堵を覚える反面、腹を抑える姿には罪悪感でいっぱいになる。

「あの、室長……」

「ん? どないした? あ、謝るんやったら、言わんでええで。これぐらい、ホンマによくあることやねん」

「いやでも……」

 怒られないことが、逆につらい。油断してキメラから目を離して、かばってもらって室長に怪我をさせるという、完全にしてはいけないタイプのミスだった。 

 視線が下に固定する昴を見て、フォードもまた眉を下げる。少し何かを考え込んでふぅと大きく息をついたかと思うと、昴と目を合わせないまま静かに思い出を語りだした。

「……昴くんの前に、もう一人社員おったって言うとったやろ? そいつもなぁ、人間のキメラに油断して、というか、情がわいて、殺せんかってん」

 それは、配属二日目に聞いた、もう一人いたはずの社員の話だった。覗き込んだ室長の横顔は悔しそうに目を一度伏せ、再度息をつく。

 

「小さい子に『助けて』って言われてなぁ。助けたかったんやろなぁ……それで尻込みした瞬間に、グシャ、やったわ」

「……つまり、それって」

 殉職……、と続くはずだったセリフは、無理をして明朗に笑う室長の自虐ネタに吸い込まれる。

「せやねん! うちの部署な、ホンマに怪我率高いねん。やからキメラ対策室なんてだーれも入りたがらん!」

「自慢げに言うなよ」 

 少し離れた位置でツナミと連絡を取っていたアランが、わざわざ戻ってきて突っ込む。肩を抑える昴をちらりと見て、真顔で続けた。

「ちなみにそいつの武器は鉄パイプだった。返り血に染まったスーツ三人組が、血の付いた鉄パイプに、まき割り用斧、鉈をそれぞれ引きずって廃墟から出てきてみろ。お化け屋敷もびっくりのホラー系アトラクション完成するからな」

「いやそれアトラクションじゃないですよね。ビビったが最後がっつり死を覚悟するタイプの猟奇的殺人現場ですよね」

 少し軽くなった空気に、言い返すというか、ちょっと反応を返してもいい流れを感じとる。「昴くんもこれからは殺人現場仲間やからな!」と朗らかに笑う室長から全くもって不名誉な仲間宣言を受けて「光栄です」なんて返してみたり。

 

 ありがたかった。 

 失敗が失敗で終わるのではなく、許されて次またがんばれる気がした。

 アランは次いで、城と連絡を取るべく席を立つ。司には言っとかないと、と言いながら埃まみれの店内に入っていく。その腕に、先ほどまで抱えられていた小さい身体が見えないことに気づき、昴は少年の姿を探した。

 その目立つ額は、すぐに見つかる。 

 振り返ってすぐの足元。通行禁止の看板の横に、魔王のコートを敷いて横たわっていた。手と足はタオルで縛られ、右目から生えた魔力増幅の鉱石は封のためのテープが貼ってある。そのあんまりな扱いに不安を感じて、昴は静かにキメラに近づいた。

 

 意識と自我を保ち、はっきりと話す少年だった。薄汚れたトレーナーに身を包み、顔に生えた鉱石群以外は取り立てて目立つところもない、いたって普通の、どこにでもいそうな少年だった。

 けれど、もうこの子は人間ではない。帰る家も、迎えてくれる家族もいない。無理やり魔導の力を与えられた、孤独な化け物。それでも、できればこの子は幸せに暮らしてほしい。弟はあんなことになってしまったが、この子だけでも、元気に生きてほしい。そう願う資格なんて、昴にはないかもしれないが。

 

 ……そういえば、

「この子、これからどうするんだろう」

 魔王は《商品》だと判断していたが、それはつまりこのまま生かしておくということなのだろうか。このまま、この異質なマジックアイテムを目に埋め込んだまま、社会に放り出すのだろうか。

 キメラがこの社会で生き抜くのは厳しいと、自分で判断した矢先の決定だった。 

「生き場がないんやったら、死なせてやった方がましかもしれん、とか思うとる?」

 突然降ってきた声に肩をびくつかせる。

「……っ室長!」

 反射的に返してしまった大声に、少年が身じろぎするのを見て肝を冷やした。せっかく寝ていたのに、起こしてしまったら大変だ。

 

「……室長、びっくりするじゃないですか」

「おお、すまんなぁ。で、この子のことやろ? あいつが引き取るんとちゃうかな。知らんけど」

 まったく悪びれていないフォードは、心を読んだかのような返答をあっけらかんと繰り返し、昴の隣に並ぶ。同じように腰をかがめて、さらさらと落ち着けるように少年の頭を撫でた。少しやせ気味の汚れた頬を見つめるその眼はひどく優しくて。

 「ちゃんと学んで、元気に過ごすんやでー」なんて、眠った意識に向けてぽつんとこぼしている。

 やはりこの人も、キメラを殺したくてやっているわけではないのだ。昴は心なしか安堵の息をつくと、黙ってその様子を見守る。

 そうしていると、フォードはまたも思いついたように口を開いた。

 

「魔王のとこぐらいやろうなぁ。化け物を見て、ちゃんと責任もって面倒見る言うてくれんの」

「……え?」

「キメラの扱い方なんてホンマに誰も知らんからなぁ。さっきちょっと考えてみたから、想像つくやろ? キメラは《予想外》や。何をしでかすか分からへん、何ができるかも分からへん、それでいて見た目は化け物、万が一育てた結果大事件でも起こされたら責任問題になる。誰もかれも、そんな厄介モン受け入れたくない」

「……こんなに、小さいのに」

「小さくても、無視できひん強さやったろ?」

 室長は撫で付けていたキメラの髪を整えて、手を離す。

 

「特に、HEROとかに任せようもんなら、余談なく全部駆除や。あっこは勇者育成が目的やからな、キメラなんてどれもこれもモンスターにしか見えてへん。きっとこの子も、危険やから言うて殺されとるわ」

 

「……っ!」

 平和維持法人HERO。世のため人のため、正義を執行する組織。

 

「それで言う『世』ってのは人間のための社会のことで、『人』ってのはもちろん一般大衆のことや。そりゃいわゆる《ふつう》の方々に受け入れられへんモンは、あっこも認められへんわ」

 

 だから、だから室長は、HEROには頼めないって言ってたのか。

 

「それで、魔王の協力を仰いだんですね……」

 やっと納得したキメラ特別対策室の慣習。

 実地業務が終わった今、キメラ処理というものがどういったものか解る今、組織としての結論の差に気づく。

 

「せや。特にうちは、長い年月いろんな現場見てきとるからな。いくらキメラいうても、これはアカン奴か、ええ奴かは何となく分かる。まだ生きたいと思うとるんやったら、まだ生かしてやりたいやんか」

 室長はそこで一瞬言葉を止めた。一度目を伏せてから、今度はニッと歯を見せて、口調明るく続きを述べる。

「まぁ、最後に判断するんはアランやけどな! 《商品》になる奴しか面倒見る気あらへん言うとったから、それはきっとそうなんやろうけど、せめて一つでも居場所が与えられる可能性があるんやったら、うちはそっちにかけたいねん」

 

 そして室長は突如として首を後ろに向け、

「な? ベレルちゃん」

 かっかっかと笑いながら、いつも通りの表情で先輩を出迎えた。

 

「ちゃん付けやめてくだサイ。セクハラデスよ」

 

 ショートスカートがビシッと決まった漆黒のスーツ。銀縁眼鏡の位置を直しながらカツカツと足音響かせて歩み寄ってくる女性社員の姿は、ここ数日で見慣れたものだったが、今日はとても懐かしく感じられて。

 

「あら、新人さん、初仕事にしては怪我少ないじゃない」

「私は初めてでも無傷デシタが?」

「ベレルちゃんと一緒にしたらあかんやろ」

「ツナミ、さっきの奴、なんでなのか教えるのだ」

 閑散とした商店街の一角は、昴を置いて元の空気を取り戻していく。

 

 それが妙に寂しく思えて、昴もまた一歩足を踏み出した。遠くの空いたアーケードの隙間から、時報の童謡が聞こえてくる。

 

「ツナミ、みこと、帰るぞ。あと今日一匹連れて帰るから、お前らも手伝えよ」

「お? 今日は収穫あるのだ?」

「おう。たぶん俺見たら発狂する勢いで怒り出すから、お前らのどっちかが持て」

「あんた、また恨み買うような真似を……」

「その方が便利なんだよ。『俺を殺したい』ほど恨んで憎んで、それで生きる目的が在るなら、その方がいい」

 通信機片手に戻ってくる魔王は、仲間の二人に話しかけて連絡を告げる。もちろんその様子に親しさはあっても、慈悲深い印象なんて受けはしない。

 

 やっぱり魔王は強くて無慈悲だ。暴力的な破壊力。爽快感すら覚える。見ているだけで、果てしない高揚感に襲われる。それでいて、恐ろしくおぞましい。

 理由も何もなしで、マイナスの感情を持たねばならない絶対悪。

 あの日、自分が受けたあの感覚は、間違っていなかったのだ。

 

 今はもう、それでいいのだと解っている。歪みのないまっすぐな絶対悪だからこそ、この社会は必要としている。正義では埋められない社会の隙間を、悪だからこそ埋められる。

 

「昴くん」

 

 ふと、視界の外れから声がかかった。反射的に返事をしながら、体ごと声の出どころに向ける。

「……今日はお疲れさん。本日の業務終了、今日はもう帰って大丈夫や」

「あ、ありがとうございます……」

 そこには、必要なくなった通行禁止の看板を持ったフォード室長と、鉈の血をぬぐうベレルが、暗くなりつつある空を背景に立っていた。ゆるく微笑んだ室長は普段よりも落ち着いて穏やかで、少しだけ変だった。

「それで、今日の終わりに訊いとこ、と思てんけど、」

「はい」

 

「……キメラ特別対策室、やって行けそうやろか?」

 

 眉を下げ、苦笑しながら尋ねる。優し気なその表情は、昴がどんな返事を返しても受け入れると言っていて、むしろ嘘偽りなく答えることを望んでいた。

 昴は、一瞬だけ目を見開く。まさかそんなことを心配されていたなんて。

 すぐさま破顔して、大きな声で告げた。

 

「はい! 今日の業務で、とてもやりがいのある仕事だと思いました! これからも、頑張って実力をつけ、次はもっと役に立つようになっていきたいと思います!これからもよろしくお願いします!」

 

 

 

業務その4  依頼事業に合成獣 了

 

 

 と、言いながらも、内心は「そう言うしかないだろ!」でいっぱいである。

 

 え? もしこれで「嫌です。無理です」って言ったらどうなるの? 部署変えてくれんの? 違うよね? 「じゃぁ辞めてください」って言われるんだよね。知ってるよ!

 

 本心を、と言っておきながら選択肢なんて存在しない質問に、心の内で苦笑いをこぼす。

 しかし、この部署でやっていけそうだと思った部分は間違いなく本物の決意であることを、株式会社バスター510の新入社員、昴・蔵槌は、だれよりも自分で驚いたのだった。

 

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