Y.KA.02


 薄暗い地下の研究室にて。
「子ども…?」
 アランは一人、口からこぼれ落とした。

 培養液に沈んでいたのは、人型の生物。
 頭と心臓に取り付けられたチューブが、機材のメインシステムとつながっている。
 この広い部屋に、唯一残っているモノ。「M-03」と資料に記されていたモノは、目の前に封印されているヒトだった。

 身長は推定150センチメートル。
 小柄というよりも、ただ単に身長が低いだけのような、というよりもやはりただの子供のような、深緑の髪の男。
 目は閉じられており、静かに眠っている。表情もまた、あどけない。
 そして何より、

「……まさか、オーガ…?」

 額に生えた2本のツノ。
 大きくはないが、明らかに人間としての形を逸れた白い異形の印が、アランの目に留まっていた。
 その正体を憶測し、いぶかしげに呟きながら、メインシステムを起動させる。
 驚いていないわけではなかった。そして、確信していい結論でもなかった。

「本物…? いや、存在しているはずがない」

 この世界で繁栄と衰退を繰り返す歴史の中に、オーガという種族がいた。
 時期としては最古の部類に入り、存在自体は確かであるものの、詳細は未だ分かっていない。というのも、当時の文献は時代とともにほとんどが失われ、かろうじて残っている壁画でも、オーガの様子が描かれているものはさらに少ないからだ。
 その数少ない史料の中で見た、オーガの姿。それが、目の前の少年と同じく2本のツノを持つ人型の生物だった。

 信じられないながらも、それとしか言いようがない姿に眉をよせて、アランは起動したシステムを操作し始める。画面から発する光が、アランの顔に陰影を落とす。
 歴史上オーガが存在したと言われる時代から現在まで、悠に1000年以上。その間に現存していたという記録はない。ならば、オーガ族は絶滅したと考えるのが自然だった。

 そうなると、目の前のコレは、なんだ…?
 機械を扱うのは苦手だが、そうも言ってられず、データを漁りまわる。紙媒体の資料はもう消されてしまっていたが、記録自体は残っているかもしれない。
 たどたどしい動きでコントロールパネルを操作し、観察記録というファイルを見つけ表示する。画面に、これまでの実験の記録と、生物そのものに関する資料が映し出される、はずだった。

 突如、部屋に響き渡る声。
『かわいいかわいいカラスちゃん、元気でやってる~?』
「……っ!?」

 部屋全体に通るように、そして部屋の外には聞こえないよう調節された音量。

『あ、ビックリしてる? してるよね~?』

 あっけにとられるアランを置いて、音声は勝手に話を進めていく。
 間延びした言い方とその声は、アランがよく知る、あの人のもの。アランを“カラスちゃん”と呼ぶ人物なんて、あの組織に所属していたころの、あの人しかあり得ない。
 手元の画面には音声再生の表示がされており、録音した声を再生していることが分かる。

『というか、ホントにアレだけでここまで来たんだね~。おじさんもビックリ! ふつう、あんなゴミみたいな資料頼りにしてココまでくる? いやでもソレっておじさんを理解して信用したってことだよね? いやぁおじさん嬉しくてまいっちゃうなぁ~』

 くっそムカつく…!
 驚かされたこともだが、神経を逆撫でするような明るい声色。そしてやはりあの人の手の上で踊らされていたという事実。いなくなっても、上司は上司だった。アランの額に一瞬で青筋が浮かぶ。
 おっさん黙れ…! そういい返そうとするが、録音だったと思いとどまる。

『さて、……ここはね、おじさんの研究室だよ』
 声の主、自称おじさんは、こちらの様子を見透かしたように急に声のトーンを下げた。
 本題が、始まるようだった。

『嘘だけど』
「嘘かよ」
 始まらなかった。

 そうだ、この人は、しれっと嘘をつく人だった。それも、騙して得するような巧妙な嘘はつかず、だれも得しない意味の分からない嘘をつきまくる人だった。
 アラン自身、何度も騙されてきた。そしてその都度リズムを狂わされ、話をはぐらかされ、なんやかんやでいいように使われてきた。
 アランが大きいため息をつく。再生時間は30秒を超えて、ようやく話が始まった。

『目の前にいるのはね、本物のオーガだよ』

 やはりか。そう思いながら改めて少年を見た。どこにでも居そうな、普通の子供だった。額のツノを除けば。

『なんで存在するのかとか、どうやって手に入れたとかは、話してる暇なくてね~』
「しょうもない嘘ついてる暇はあるのかよ」
 録音と分かっていてもつい反応してしまう。咄嗟に突っ込みが出るのは、もはや体に染みついた条件反射だった。

『……で、彼はね、オーガであると同時に、改造人間でもある』
「なんだと…?」

『1000年以上昔の身体だからね。部分によってはガタが来てたみたいだねー。心臓含めていろんなところを、機械化しなきゃいけなかった。あ、人格とかは変わってないはずなんだけどね』
「…………」

 そして音声は、一つの間を置いた。その間に、培養液からごぽりと気泡が浮かんで、上部へと消えていく。

『おじさんは、彼を殺せなかった』
「…………」
 音声は重苦しくも淡々と再生される。アランはその結果に対して何の反応もなかった。次の一言を、聞いても。

『研究員は全員殺せたのにね』

 あの組織が行った、事実の消去という名の、殺戮。
 記録の上からも人々の記憶からも完全に存在を消去するという、強引で傲慢な目的は、都合のいい魔法で叶えられたものではなかった。口封じと意志断絶のために、大多数が流した血の上に成り立っていた。そしてそれを、アランは分かっていた。
 この研究所が残っていることの方が考えられないと、最初にアランが驚いたのはそのためだ。
 加えて言うならば、残されている「M-03」こそ、消したかったものではなかったかと、思う。

 改造人間。
 単純に考えて、人間ないしは亜人種であっても、それを改造して生き永らえさせることは世間の倫理観に引っかかるだろう。ただでさえここ数年は“命”を取り扱った分野に敏感で、この実験も見つかっていれば社会の批判は免れない。

 あの組織はすべてを消したかったはずなのに、わざわざ波風を立て、注目を集める可能性だけが残っている。
 アランはどうにも解せなかった。純粋に組織の目的と利潤を考慮した場合に、改造人間を残すメリットがない。
 そしてそれを、元上司が分かっていないはずがなかった。利害や損得、感情を捨てた打算ならば、あの人は自分よりも長けていたのだから。

 しかし、アランは聞いた。

『……創ったことが罪ならば、創られたモノも罪なのかな?』

「………っ!」
 長い間を共に過ごした上司の、捨てられなかった選択。それがまさに、アランのためであったことを。

『生きるも死ぬも、どう生きるのかも、どう生きたいのかも、決めるのは彼自身だ。そうだろう?』

 それでもこの子は、生きているのだから。そうまとめた上司の言葉。

 緑の髪を漂わせながら眠る少年の足元から、再び気泡がごぽりと音を立てて浮かび上がる。
 再生時間は残りわずか。これが最後のメッセージだった。

『かわいいかわいいカラスちゃん、彼を、頼んだよ。君の進む先が、辛く、苦しく、輝かしいものでありますように。……愛しい君のための、愛しい君だけのおじさんから、愛をこめて。……嘘だけど』

 アランは目を細めて、何か言いたげに口を開く。しかし、感じることも、考えることも、言いたいことも、全部がもう遅くて、言おうとしたどの言葉も、もう届かないことを思い出す。
 嬉しそうな、でも悲しそうな、様々な色を交ぜた沈黙。
 そうしてアランは、長い間をおいて、

「嘘かよ」

 いつもの一言だけを、ぽつりと漏らした。

 一拍間をおいて、再び考えることを始めたアランの手は、当然のごとくパネルに向かっていた。
 ファイルを開いてから自動再生までのシステムも、上司によるものだったのだろう。
 音声再生の画面が勝手に消え、ポン、という効果音とともに一つのテキストが表示される。

『なお、ボクのメッセージ再生が終わったら、彼は自動的に目覚めるようになってるからね。あと、それも終わったらデータごと爆破するから~』

「はぁ!? おい、目が覚めるって…!? 爆破!?」
 細かく問いただす間はなかった。すぐさま目前にある培養液がうごめき始める。
 問いただしても返事はないんですけどね、というツッコミはない。人件費は削減したからだ。

 そうこうしてるうちに、みるみるうちに液体が消えていく。オーガの身体に繋がっていたチューブが外されていく。
 人工的な管の隙間からようやく見えた心臓部分には、メッセージ通り、無機質な銀色と呑み込むように深い翠色の生命維持装置が埋まっていた。

「……おはよう?」

 反射的なものだったのかもしれない。オーガの少年は目をゆっくり開くと同時に、アランに向けてそう話しかけた。少年特有の落ち着きのない高い声。言葉は通じるようだった。
 虚ろな瞳の色を見て、ほうじ茶を思い出す。甘いものが食べたかった。欲を言えば、団子。

「……?」

 返事をしないアランに、首をかしげる二本のツノ。貧乏くじを引かされたのかもしれない、とアランは小さく息をつく。
 だが、コイツには、アランの組織に来る“資格”が、確かにあった。
 一歩、近づく。目をそらさず見据えて、アランの言葉が部屋に轟く。

「お前に、すべてを与えてやろう。住む場所も、食べる物も、生きる知恵も、戦う力も、お前を必要とする者も、お前が必要とするモノも、すべてだ」

 機械から警告音が鳴っている。あの人の言う通り、この場所は爆破されるのだろう。地面も心なしか揺れている。
それでもアランは、言葉を優先させた。

「その代わり、自分の存在意義は、行動目的は、自分で決めろ」

 深緑の髪を持つ少年は、ただひたすらに、アランを見つめる。

「生きたい、と、そう願うのならば、手を取れ」

 アランはまっすぐに手を差し出した。
 地鳴りとガレキの崩れる音が緊迫感をあおる。
 少年の、口が開いた。

「ともだちが、ほしいのだ」

 アランの口角が上がる。
「俺が、一人目だな」

 少年の手が、アランの手に重なった。


Column

【アラン】

すっかりペース乱されてるあたりがまだまだだなぁと自己分析。

 

イラスト:漣猗さん@ripple_lianyi


【あの人】 愉快犯なところがある元上司。部下をかわいがることで有名。

【あの組織】 アランがかつて所属していた組織。現在はもう存在しない。