Y.KA.02


「アランさん、おかえりなさいませ。……おや、後ろの方は?」
「ただいま。司、悪いけど子供サイズの服を用意してくれ。なかったら俺のTシャツでいい」

「それは構いませんが……」
 司が言いよどむ。
 無理もなかった。一人で出発したアランが、布にくるまれた子供を連れて帰ってきたのだ。

 まさか隠し子…!?
 常に笑みの形に固定されていた司の目がうっすらと開く。表情筋は一切動いていないが、今の一瞬で目から優しさと微笑みが消えた。銀の髪と白い肌、全体的にも透明感のあるエルフの容姿に、その瞳だけが妬けつくように紅い。

「違うって。あー、アレだ、あの人の置き土産だとよ」

 その目に射抜かれているアランには、なんら後ろめたいことはない、はずなのだが。浮気を疑われた旦那の気分が何となく理解できた。そして理解できたことが軽くショックだった。恋人も結婚予定もないのに。

 アランは、追従してくる司の視線から気まずげに顔をそらし、後ろを見やる。
 ペタペタと裸足で大理石を叩きながら、興味深げにあたりを見回す子供。身長は推定150センチメートル。
 あの研究所で、アランが見つけたオーガだった。

 結局のところ、調査という名目で出発した割に、新たに分かったことは少ない。
 少年についての重要すぎる部分は聞けたが、肝心の研究所のことやオーガについては何も分からないまま、データは目の前で消されてしまった。今頃は消し炭の中だ。

 なんだかんだ言っても先ほどのやり取りは冗談だったらしく、司はアランを放ってオーガに話しかけていた。分かりづらい冗談はやめてほしい。
「はじめまして。リヴァイアサン・司、といいます。わからないことは何でも聞いてくださいね」
「……? りば、」
「司、でいいですよ」

 司は、適当に巻いた布を軽く直しながら、体格や傷の有無を確かめている。
 頭の布をとった瞬間は、反応を一切出さず静かに布を巻き直していたが、オーガの胴体を見た一瞬、司の手が、固まった。
 心臓の機械を目に入れたのだろう。隠そうという気遣いなどカケラも感じられないソレは、小さな体に対して異様に大きく見える。
 アランは、コレ後で問い詰められるんだろうなぁと、ちょっと覚悟した。

「……アランと司は、どういう関係なのだ? 友達なのだ?」

 オーガはあまり人見知りをしないようだった。
 まだ何もわかっていない状態だろうに、まず真っ先に聞くのがそれか。
 あまり信じられていないが実は気難しい部類に入る司が、にこにこと笑いながら答える。

「僕は、アランさんの主人ですよ」
 ……ん。

「なるほど! アランは司のペットなのだな!」
 ……ん!?

「まぁ、そんなところですね」
「待て待て待て!」

 慌てて止めたがあながち的外れでもないというか、当たらずとも遠からずな気もするけども! いやでも、ペットは、ペットはない! せめてもうちょっと何かなかったのか。
 アランの必死の要求に対して、二人の「どこかおかしい所があったのか?」という視線が、ひたすら痛かった。


 帰宅した魔王城は、いつもと変わらない騒がしさと忙しさを前面にアピールしていた。
 まだまだ少ない職員たちが、小走りを超えてもはや全力疾走で仕事をしている。人手が足りない。そして、人数の割に城が大きすぎる。
 俺も早くあっちに合流しねぇとな……。
 アランは頭の片隅でそう思いつつ、物珍し気に視線を泳がすオーガを引きずって、奥へ進んでいた。玄関から、多目的共用スペース通称「リビング」に移動する。
 本人の口からできる限りの情報を集めたい。兎にも角にも、真っ先に終わらせる業務はそれだった。

「あら、記憶がないのですか…?」
「らしいのだ」
「名前を訊いたら『覚えてない』だと」
「……知らない、ではなく?」
「覚えてないのだ」

 のっけから予想外の事態。
 連れてきたオーガの子供は、これまでの記憶がないという。少年の世話を焼く司に半ズボンを渡して、そのままアランは頭を抱えた。
 オーガとはどんな生物だったのか、研究所では何をしていたのか、研究所に行く前はどうしていたのか、そして名前や年齢などの個人情報。聞きたい情報であればあるほど返答がない。
 まぁ本人いるからいいか、と高をくくっていたのが裏目に出たようだった。つぎはぎの多いソファが悲鳴を上げている。

 しかしアランは、苦々しく眉をひそめながらも「だが、」と言葉を続けた。
「完全に記憶がないわけじゃない。話せるってことは、言葉は覚えてるってことになる」
「文字は?」
「俺の名前なら読めたな」
「なるほど……」

 少年は、思案顔を相対させる二人から視線を外し、着せられた服をまじまじと見つめていた。
 アランの白いTシャツはやはりサイズが大きかったらしく、首回りがアンバランスで、股下まできれいに隠してしまう。ワンピース状態の裾を自分で持ち、パタパタと揺らす。乱暴に扱っても布がずり落ちていかなかった。服に書かれた文字を逆さまから眺める。
「めろんぱん……」
口に出した言葉は、確かにシャツの中央に大きく書かれた文字通りだった。

「『知らない』と言わないのは、ちゃんと名前が存在した感覚があるからでしょう。生まれてすぐのまっさらな状態なのかとも思いましたが、そう考えると違いますね……」

 司の考察。アランも異論はなかった。

「ずいぶんとまぁ都合のいい記憶喪失なことで……」
 皮肉が憎々し気に漏れる。ため息のおまけつきだ。
 出来すぎなほど、厄介ごとだけが舞い降りた状況。少年が嘘をついているようには、見えなかった。
 巧みな演技と記憶喪失と称した黙秘で魔王を騙している、という可能性も考えたが、そんな者をあの人が任せるとは思い難い。あと演技だったらせめて名前くらいは付けてきてほしかった。

「主人に対する相手のことを“ペット”と分かっている、ってことも基本的な知識は識っているということでしょう?」

 これからのことを真剣に考えて目の前が暗くなるアランに対し、真剣に考えてはいるものの、どこか楽観的で普段より笑みを深くした司。
 何も返せないまま、アランは当分の間ペットネタでいじられることを覚悟したのだった。
 その話題はもうやめよう。割と切実に言ったのに。

「まぁいい。知らないなら、これから知ればいいだけだ」
 いやなものを取り払うように、勢いよく顔を上げる。アランのオンオフ切り替えは早かった。
 きょとんと見上げるほうじ茶色を、意志の強い目で見つめ返し、ふっと微笑む。その顔はすでに、仕事モード、魔王としてのアランの顔。

「これからお前に、“知らない”を言い訳にすることを禁ずる」

 ゆっくりと指をさし、上から目線で一方的に言い放つ。

「言い訳…?」
「知らないからしょうがない、って言うなってことだ。教えてやるから、そこで知って、覚えろ」

 なにも覚えていないこと。何も知らないこと。それを悪いとは言わない。ただ、これから知ること、学ぶことを、放棄することは許さない。
 アランとの約束の形をとったそれは、魔王の仲間になるための契約。そのことを、オーガの少年は頷いた後から知ることになる。
 まだ名前もない少年が、正式に魔王の傘下に収まった瞬間だった。

***

「……では、まずは名前を決めましょうか。呼び名がないのは不便ですよ」

 先ほどの話し合いから、十数分が経っていた。
 なにもすることがない少年の顔には、大きく「暇なのだ」と描いてある。
 あれから、アランは本来の業務として仲間に指示を飛ばすため、一時退出。急いで戻ってきたタイミングで、司がサンドイッチを運んできての一言だった。

 卵とトマト、レタスが挟まれた色鮮やかなソレは、セリフよりも少年の興味を引いたらしい。目を輝かせて皿を覗き込んでいる。
 アランはその様子を呆れ気味に眺めて、「自分のことは二の次か」とこぼした。が、両手にサンドイッチを握りしめてどっちから食べようか迷っているのは、つい先ほどまで封印されていた肉体。腹は減っているのかもしれない、と思い直しつつ、勢いよくパンにがっついている少年をじっと見つめる。
 2本のツノが咀嚼にあわせて小刻みに揺れ、くすんだ深緑の髪がぴょこぴょこ跳ねる。
 名前、なぁ。

 実際のやり取りでは意識していないものの、一応アランは魔王と呼ばれ、司よりも上の立場にいた。名づけの決定権が優先されるのも、アランの方。司もそれを解っている。
 アランが司と少年、それから部屋全体をゆっくりと見渡す。そして、一度目を伏せた。一人の人生を左右する大きな決定を前に、司は静かに発表を待つ。

「こいつのいた研究室は、Mのチーム名を冠していた」
「……」
 司は、何も言わない。

「おそらく関連性はないのだろうが、イニシャルにでも残しておこうか」
「…?」
 少年は、まだよく分かっていない。

「そこから考えて、お前の名は……」
 ゆっくり開いたアランの金色の目が、オーガを捉える。

「ミトコンドリア」
「却下です」
「……」
「メタセコイア」
「却下」
「……」
「マカダミア」
「却下、というかアランさん真剣に考えてください」
「この上なく真剣なつもりなんだが」

 心外だと言わんばかりに、眉間にしわを寄せて返すアラン。その瞳には、ふざけている気配は一切なかった。
 即答で却下を言い渡した司の目が、再び開く。やはり今の一瞬で瞳から優しさと微笑みが消えた。

「……いや、もうこれはアランさんに任すのはやめましょう。正直内心どうでもいい&なんでもいいとか思ってましたが、呼ばれて恥ずかしい名前は付けられません。僕が決めます。いいですよね?」

「え、」
「いいですよね?」
「……ハイ」

 いいと思ったんだけどなぁ。
 まだブツブツ言っているアランを華麗に無視。司は、表情を柔らかくしてオーガと視線を合わせる。
 そしてゆっくりと、言い聞かせるように、語るように、話し始めた。

「あなたの心臓、否、核は、強靭で脆いものです」

 少年は、司から目をそらさず、じっと見つめ返した。

「その核は高価でも、今のあなたは、無価値なままだ」

 少年がその言葉の意味を、正しく理解しているとは、言えないかもしれない。

「あなたの価値を、いのちをの重さを、自分で勝ち取りなさい。……あなたの名前には、生きる意思を込めましょう」

 だが、微笑む司の目を見ていると、思い出すものがある。それはおぼろげで、あいまいな、イメージだけの、けれども強烈な印象をもたらす、遠い昔の記憶。ぼやけた映像に、一人の人物が映り、その目がこちらを見つめる。
 強者の瞳。柔和な表情の奥にある、意志強き目。
 昔々の、失われた記憶と、司の紅い瞳が、重なる。

「“みこと”」

「……みこと」
「ええ」

 軽く頷いて顔を上げる。光を受けて輝くほうじ茶色の瞳に、二人が映る。
 多くを失ったオーガの少年には、それはあまりにも眩しくて、強くて、懐かしくて、少しだけ覚えのある、大人という存在の姿だった。

 アランは満足げにみこと、と声をかける。司は閉じた目を優しくゆがませる。
 二人は視線を交えることなく、声を合わせた。

「ここは、魔王城」
「そして、組織ヴィランズへ、ようこそ」


Column

【アラン】

少年を連れて帰ってきた男。常に真剣。

 

イラスト:和錆さん@wa3bikan

【司】

少年に服を着せるエルフ。常に笑顔。

 

イラスト:きるさん@cage13

【少年】

やってきたオーガの子供。常に興味津々。

 

イラスト:おふるさん@ofuru_c

 

【ミトコンドリア】細胞小器官の一つ。呼吸に関係する一連の酵素を含む、細胞のエネルギー生産の場。

【メタセコイア】スギ科メタセコイア属の植物。北半球各地で中生代から中新世の化石として知られていた。

【マカダミア】ヤマモガシ科の常緑高木。オーストラリア原産。実は食用となる。

以上3項目広辞苑第6版(岩波書店 2008)より引用