Y.SO.12

「いらっしゃいませ。勇者登録カードをご提示ください」

 

 

業務その5  勇者たちのお仕事

 

 

 

「え?」

 戸惑いという概念を正確に伝える一言が、ガラスに包まれたオフィスにしんと溶け込んで、空虚へと消えた。

 

「……え?」

 受付が聞き返す。青年との間に気まずい空気が流れる。

 片や「なんだそれは?」の疑問符。片や「なぜそこを聞き返す?」の疑問符。お互いが次の一手を出しあぐねる。

 

 先に動いたのは、もちろんというかなんというか、受付に座る女性の方だった。

 たまにいるのだ。こういう人物が。

 おそらく、ともう慣れた可能性を頭の隅に置いて、笑顔を作る。

 

「恐れ入りますが……」

 

 しかし、呼びかけに応えたのは。

 

「おい、レベル1のフロアは4階だぞ?」

 

 割って入った、もう一人の声。

 ビクッ。受付台を占領する青年の肩が小さく跳ねる。

 頼りないその動作を目ざとく認め、受付はすぐさま追撃をかけた。丁寧と優しさをゴリ押しした、館内ご案内のフォローを。

 

「新規の勇者様でしょうか。新規登録の対応は4階になります。通路右手のエレベーターをご利用ください」

 貼り付けた笑顔はそのままに、そろえた指先で通路の方向を示す。

 しん、と空気がやむ。床に敷き詰められた灰色のタイルが、蛍光灯の光を反射していた。

 

 …………

 そして時は動き出す。

「あっ、あっ、すみませんありがとうございます」

 新人は足早に廊下を駆けていく。その背中に焦りと緊張がにじむ。

 初々しいその反応を淡々と見送って、割って入った男―クロートは、何も言わず無精ひげを撫でた。

 

「新人か……」

 あの青年が間違えるのも無理はない。

 『来所受付はこちら』の看板に従えば、たどり着くのはこのフロアだった。

 日々レベルアップを計る勇者たちの相談窓口。勇者再来受付、通称「旅の扉」。

 

 ここは、《平和維持法人HERO》。

 大陸公認の勇者養成機関にして、世界屈指の巨大企業の一つだ。

 設立からいまだわずか四十年弱ながら、これまで百人以上の勇者を輩出してきた。

 事業による社会貢献、魔王牽制の功績は世間でも広く認知されてきており、企業成長スピードは今後さらに助長。事業はさらなる拡大を見込んでいるという。

 

「……それはそうとして、」

 といっても、一介の契約勇者に過ぎないクロートにとって、会社の事業展開なんぞ知ったことではなく。

「今日のスケジュールはどうなってる?」

 あっけらかんとした口調。慣れた手つきでカードを差し出す。

 

 この勇者登録カードは、HERO公認の勇者であることを証明する活動許可証だった。一度登録すれば全国にある勇者機関の事業所すべてで使うことができる。

 

 それはもちろん、この《縁》支社であっても。

「あ、ハイ」

 受け取った女性もまた、澱みない手つきでバーコードを読み取る。

 ピッという小さい音を耳に止め、モニターに目を向けた。

 

「いつもご利用ありがとうございます」

 読み取った情報と、カードの名義、顔写真と眼前の人相が同一人物であることを軽く確認し、受付はモニターに表示されたレベルを見る。

 

 クロート・ヒイラギ。レベル35。新人と呼ばれる時期を終えた中堅の勇者だった。出身地は東大陸。移動はバイクが中心。パーティメンバーは固定させず、仕事に合わせて声をかけていくスタイル。

 そこまで軽く目を通してから、受付は今朝印刷したスケジュール一覧を取り出した。

 

「本日は『定着支援、パーティの間における前衛後衛の役割とパワハラ問題について』のセミナーが3階視聴覚室A。『戦術検定基本編、ポジションの重要性』の筆記対策が4階B会議室。『リーダーシップ論、個人情報の取り扱いについて』のセミナーが3階中央セミナー室で……」

 

「あぁ、……」

 クロートは言いづらそうに表情をゆがめる。

 講師あの人じゃねぇか、とつぶやく口調は続きを望んではいない。

 「実技訓練系は?」と尋ねる声にも期待はない。そして、その見解はある意味正しかった。

 

「えー、本来なら『実践型打ち合い訓練』があったんですが、講師不在で中止になりまして……」

 声と表情に目いっぱいの「残念ながら」を匂わせて、受付は男の表情をうかがう。

 ただの案内係である彼女には何の非もないのだが、どこぞの社員代理で謝る事態にはもう慣れていた。

 

「なんだ、じゃぁ今日もクエストか」

 しかし、さすがにレベル35にもなると、そんなことに逐一腹を立てる様子もないらしく。

 クロートはあっさりと頷いてカードを受け取る。

 申し訳ありません、と追撃を入れる受付に「いや、いいって」と軽く手を振った。

 クロートはガラス張りのオフィスを出て、廊下を引き返す。

 タイルに映り込む蛍光灯。くすんだ反射光が目にくらむ。

 

「……2階だったか」

 目的地ができるとエレベーターを待つ時間も惜しくなるらしい。柱の上下ボタンを通り過ぎ、最奥にある階段へ足を進める。目指すは階下。クエスト受注窓口。

 クロートは背負う形で装備した大剣を、鞘の上からそっと撫でた。

 

 機関HEROの事業は、主に三本柱で成り立っている。

 勇者に対してセミナーや訓練を行う『勇者の養成』、魔王に敗北した場合のリスクを減らす『全滅損害保険』、そして勇者の名を世に知らしめた第三の事業が、『クエスト』。

 

「お疲れ様です。こちらは2階クエスト受注専用窓口です。整理番号を発行しますので、番号が呼ばれたらそちらの窓口にお進みください」

「はいはい」

 

 一般顧客が依頼するさまざまな仕事を、勇者が引き受け処理する。

 人々は困りごとが解決し、勇者は経験を積んで報酬までもらえる。

 世間と勇者を結びつけるこの事業こそが『クエスト』だった。

 

 1階は仕事依頼を受け付ける一般客用の窓口であり、仕事を引き受ける勇者側の窓口がここ2階となっている。

「124番の番号札をお持ちの方、3番窓口までどうぞー」

「はいはい」

 

 女性職員の誘導に従い、クロートはのっそりのっそりと席に向かう。

 背に装備していた大剣をデスクに立てかけ、オフィスチェアに深く腰かけた。

「適合レベル40以下で、即日で受けられるヤツはねぇか?」

 再来受付と同じようにカードを提示しながら、クロートはいつもと同じセリフを告げる。

 

 クエストは基本的に好き勝手受けられるものではない。

 細かく分類された依頼内容と難易度、そして勇者当人の経験と希望を鑑みて、HEROの担当職員が仕事を紹介し、依頼人と短期契約を結ぶ運びになっている。

「勤務地はどうします?」

 カタカタカタ。見覚えある顔の男性職員が素早い手つきで希望内容を打ち込んでいく。

 クエストのやり取りも長く続けてくると、こちらは職員の顔を覚えてくるし、向こうも常連を覚えているのだろう。いつもお疲れ様です、とこぼす職員の声色は初対面の者に対するそれではない。

 

「特に制限はないな。どこでも行くつもりだ。とりあえず全部出してくれるか?」

「かしこまりました」

 

「…………」

 職員が調べている間、クロートは手持無沙汰に周囲を見回す。

 今日は2階にも人が多い。人気の実戦訓練が中止になったからだろう。

 明らかに駆け出しの勇者が不安げに渋る中で、間違いなく手練れの勇者が隣でクエストを受注していた。いくつかの書類にサインを施し、HEROの紹介状を手に颯爽とフロアを去る後姿。特に感動のない視線で追う。

 

「…………」

 

 ほどなくして検索結果が出た。

 当日契約可能、勤務地制限なし、適合レベル40以下という条件で割り出された依頼件数。

 

「……あー、」

 魔物討伐が百八十二件、事件解明が五十四件、救援要請が三十七件。

 

「多っ」

 

 検索条件も、緩すぎると参考にならないということを学ぶ。クロートは乾いた笑いをこぼしながら、記載事項の一つである『緊急ランク』が高いものから教えてほしいと付け足した。

 

「……そうですね、《玲》領主の身辺警護、花人に流行している感染病の調査、アレフヘイムに出現する魔物の討伐……」

 職員の男がモニターから目を離さないで一覧を読み上げる。

 

「ちなみに、全体で一番急を要するのは?」

「《毘》の市街地で夕刊配達ですね。配達員が急きょ来れなくなったそうで、一日だけ代わりにやってくれる方を探しているとのことです」

 

「…………」

 

 それは本当に、勇者がやるべき仕事なのか。

 そうは思っても依頼主が困っているのは確かなのだろう。社会貢献、そして正義執行が平和維持法人HEROの活動理念だった。人々が望むのなら、誰かが受けなければいけない。

 

「あぁ、でも、クロート様のレベルでしたらほかに……」

 親しい口調の半笑いで、男性職員が別の仕事へと誘導する。あぁ、ぜひそうしてくれ。男も苦々しく同意した、その瞬間に。

 

【緊急要請! 緊急要請!】

 

 けたたましい館内放送がフロアを包む。

 その場にいる全員の動きが止まり、物々しい面持ちで耳を澄ます。

 

【レベル30以上の勇者は直ちに出発してください! 繰り返します。本日10時過ぎ、《義》郊外にてモンスターの大群が出現しました。レベル30以上の勇者は直ちに討伐に向かってください!】

 

 都市《義》。

 その街の名に、クロートの表情がこわばる。

 世界でもっとも有名な交易都市にして、魔王軍組織ヴィランズの本拠地がそびえるあの街に、HEROの事業所はない。

 そして現場に一番近いのは、……ここだ。

 魔王城のお膝元、この産業都市《縁》こそが、現状の最前線だった。

 

「詳細は!?」

 クロートはすぐさま声を張り上げる。放送内容は聞き取ったものの、職員が操作する機械ならばさらに情報が届いているはずだ。

 職員はガタガタとキーボードを叩きながら読み上げる。

 

「民間人が巻き込まれているとのこと! ひとまずは人命救助を最優先にしてください!」

 

 騒然とするフロアの中、視界端の階段を数人がダッシュで降りていく。クロートもまた、愛用の大剣に手を伸ばした。ベルトで背中に固定する。

「行くぞ…!」

 物々しい面持ちを引き締める。

 

 誰からの要請かは分かっていない。報酬が出るのかも定まっていない。モンスターの大群、という響きからくる危険度も予想できる。だが、それでも行くのが勇者というものだった。

 

「クロート様ご注意ください。目撃情報によると……」

 職員の男は手元の速報を指でなぞる。そして黄色で提示された警告文を見た瞬間に、焦りながらも声のトーンを落とした。

 神妙な顔が告げる。

 ただの魔物じゃない。

 

「……モンスターは、キメラの可能性があります」

 

 

 キメラ。

 それは、人工的に生み出されたモンスターの総称。

 動物や魔物を魔導機械で合成し、全く新しい『モンスター』を生み出す。その生み出された魔物こそが、キメラだった。

 

 高度な魔法と科学を要したこの技術が確立したのは、今や百年以上昔のこと。かつては一世を風靡したキメラの生成方法もその後社会的な問題で規制され、今では研究自体が犯罪行為となっている。

 しかし、一度確立した技術はゼロには戻らない。違法と知りながらも隠れて研究を続ける者は、確かに存在する。この澄み切った空の下、今も世界のどこかでは新しいキメラが細々と生み出されているという。

 そういったモンスターが時折事件を引き起こし、こうして勇者が討伐に出る事態となっていた。

 

「郊外っつっても相当広いぞ…!? くそっ、どっちだ!?」

 大剣を背にバイクを走らせるクロートは身を切る風に対抗して吐き捨てる。力を込めたアクセルが大声で唸りをあげる。

 

 緊急要請が出てから早くも一時間弱。事件区内にはたどり着いてるはずなのに戦闘エリアが現れないという事実が、職務歴そこそこの勇者を焦らせていた。

「……チッ」

 結局、原因やモンスターについては何も分からないまま、HEROの支社を飛び出すことになってしまった。せめて魔物の合成素材でも分かれば、多少の対策ぐらい考えられたものを。

 

 キメラと一言で表しても、その特性は個体によって様々。掛け合わせる組み合わせは無限にあり、元の合成素材によって外見や能力、大きさすら異なる。

 そういう意味では戦闘での対策が取りづらい魔物だといえるが、それでも素材が分かればある程度の想像はつくはずだった。

 

 重要な情報ほど不足している現状。

 クロートが唯一分かっていることは、緊急要請が入るほど危険度が高いということ。

 ……なんの安心材料にもならないが。

 

「魔物の気配は……、もう街の外に移動してやがる」

 ブロロロロロ……。

 エンジン音がアーケード内にこだまする。前もって伝わっていた避難勧告のおかげか、住宅街にも商店街にも人の影はない。安心してスピードを上げながら、クロートは皮膚で感じるモンスターの気配を追った。

 

 急げ。急げ…! イライラを隠しもしないでクロートは再び舌打ちする。

 スピードを上げたバイクはすべての音をかき消す。サドルにまたがった正義の使者にあるまじき凶悪な顔に向けて返事する者など、いない、……はずだった。

 

「クロートさん、速報来たッス。小型の獣型が多数、らしいッスよ!」

 

 ゴーグルで狭まった視界端から、能天気な明るい答えが返ってくる。

「……どこ情報だそりゃぁ」

 クロートは苦々しく息をつきながら、バイク横に取り付けたサイドカーにちらりと目を向けた。

「……うわっ」

 ヘルメットをきっちりと付け、石を乗り上げる衝撃に毎回声を上げるのは。

「あ、そこの角右ッス」

 携帯の電子端末から目を離さないまま、親切心で付け足した青年は。

 

「でも今日だけで2回も会えるなんて、やっぱりこれは運命ッスよ!」

 

 先ほどHERO支社で出会った、初回受付の場所を間違えた新人勇者だった。

 

 

 

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