Y.SO.12

 

「……で、新米の東四郎(とうしろう)君はさっきから何を見てるんだ?」

 

 高速移動する青年の指が液晶画面をすらすらと操る。

 現代的風物詩となったその動作を横目に、クロートは嫌々ながらも尋ねた。先輩を前にその態度はどうなんだ? と一瞬思わなくもないが、経路が複雑化した現在、あの携帯端末に救われてるのは確かなので何も言えない。

 

「あれ? ご存じないッスか?」 

 東四郎、と呼ばれた青年は目を丸くして先輩を見る。それから何気なく、どこか自慢げに、ぽちぽちと操作した携帯画面を向けた。

「なんだそれは」

 だが運転中にそんな細かい画面を判別できるはずもなく。クロートは眉を顰めて小さく口に出す。

 

「HEROが出してる公式アプリッス」

 

「……」

 あぷり、と身の詰まっていない声で復唱する。

「HEROのホームページから無料でダウンロードできるッス」

「だうん、ろーど」

「通常は魔物の簡単な退治方法の配信とかしてるんスけど、勇者IDがあれば専用ページにログインできて、新規クエスト速報とか見れるッス」

「…………」

 ……最近の若者は使いこなすのが早いな。クロートはうつろな目を前方に戻す。

 

 よく思い出せば、この青年が勇者登録したのはついさっきのはずだった。

 東四郎(とうしろう)・瀧(たき)。

 勇者歴はもちろん今日が一日目。つい先ほどHERO支社玄関口にて、出発直前のクロートに話しかけてきたのがこの青年だった。

 登録を終えた直後に緊急要請を聞いたらしいこの新人は、危険を承知で、しかし一目でいいから、《勇者》というものを自分の目で見たいのだという。

 

『オレ、今日勇者になったばかりで、レベル30以上の先輩方の雄姿っていうか、勇者としての姿というか、なんかそういうの憧れるし見ておきたいッス!』

 

 理由ふんわりしすぎだろ。

 即答でそう返しつつ、クロートは当然断る気でいた。

 勇者の仕事、それも緊急事態ともなれば、文字通り遊びじゃない。足を引っ張りそうな新人を連れていく余裕なんかなかった。

 それでも、こいつがここにいる理由は、ただ一つ。

 

「いやでも、連れてきてくれてうれしいッス!」

「お前がしつこかった所為だろ……」

 

 とてもすごく執拗に邪魔だったのだ。コイツ轢いてやろうか、とクロートが青筋立てるもお構いなし。この新人はいつの間にかサイドカーに乗り込んで「お願いするッス!」と言い続けていた。あきらめた。

 ……そして今に至る。

 都市『義』の市街地から離れていくこと十数分。周囲は明らかに古臭い街並みへと様変わりしていた。人の気配は少ない。風化してゆく道に土ぼこりが立つ。

 

 携帯機器の誘導に従い大通りの坂を上った。クロートの耳に、ごうごうと鳴る風音に紛れて獣の悲鳴と人間の怒号が入り込む。

 

「オレ、これまでキメラなんていないと思ってたし、今日見るの初めてッス…!」

 冷静な耳に、東四郎の明るい声が届いてきた。その弾んだ口調に濁る、わずかな期待の色。

 

「……遊びじゃないんだ。くれぐれも他言すんじゃねぇぞ」

 そこにすぐさま、くぎを刺す。

 

 遊びじゃない。それは本当にその通りだった。この新人が今までキメラを信じていなかったのは、歴代の勇者たちが存在を完全に隠ぺいしてきた成果だ。そしてこれからも、この異常な化け物は隠され続ける。それがどれほど難しいことか。

 

「……アレだ」

 二人を乗せたバイクが坂の頂上に降り立つ。前方の視界が明ける。

 瞬間風に乗って届く、怒号。

 悲鳴。

 指令。

 咆哮。

 そして、血の匂い。

 

「お前はここにいろ。バトルに加わってもいいが、助けはしないぞ」

「…………っ!」

 すぐ近くにはモンスターの群れ。東四郎が息を飲む。クロートは地面に降り立つ。ゆっくりと背の大剣に手をかけた。

 

「はああああああ!」

 

 気合のこもった勇者の咆哮が、開戦の合図となる。

 

 ネコの爪、トリの嘴、サルの手にイヌの足、トカゲの眼に、サカナの尾。考え得るすべての組み合わせを、まるで解きかけのパズルかのように挑戦して放置した異形の群れ。それらすべてが、言語にならない悲鳴を叫んで暴れている。勇者たちが指示を飛ばして戦っている。

 

「うげぇ……」

 緊急要請が響いた直後から、こそこそと聞こえてきた『キメラ』の単語。

 東四郎の知る限り、キメラと言えば学生時代に教科書で見たネズミと金魚の合成獣のイメージしかなかった。その世界初の化け物の写真は、歪ながらも美しかった覚えがあり、東四郎は今日心のどこかで『キメラ』を楽しみにしていた。

 

 だが、現実はどうだ。

 丘の先にいたのは、確実に自然界には存在しないにも関わらず、その姿が当然であるかのようにうごめく化け物の群れ。

 魔物以外の何物でもないそれらが、殺意と敵意のまま人間に襲いかかっている。

 

「なんだこれ……」

 東四郎は目の前の光景に対し、何も動くことができないでいた。

 クロートが戦っている場所からは少々離れているものの、それでも十分に巻き込まれる位置にいる。鼻に突き刺さるケモノ臭。血と合わさって異様な臭気が不快感を誘う。

 

 でも、倒せないほどじゃないよな…?

 東四郎は額を流れる汗をぬぐって、願うように戦況を見た。

 勇者の一人が振り下ろした剣に、魔物の血が飛び散る。喉をつぶしたような断末魔を挙げて、獣の亡骸が地に落ちる。

 

 見る限り、キメラ一体一体はそれほど強くないのか。

 戦士の一人が異形の一匹を倒し、大きく息をついた、その瞬間。

 どこからともなく聞こえてくるピロリロリン! の電子音。

 

【レベルアップ! 新しく賞与ポイントを3入手しました。昇給ポイントを1入手しました。交通費上限が300アップしました。新し……】

 

 ピッ。

 戦っている勇者の一人が、携帯電話の音声を無理やり断ちきる。

 レベルアップに伴う、HERO公式アプリからの通知だった。

 すごい。全然空気読んでない。

 仕方がないとわかっていても、辺りからは軽快なファンファーレが、ちらほらと無情に鳴り響いていた。だがレベルが上がったというのに戦士たちの顔は明るくない。当たり前だ。そんなことをのんびり喜んでいられる状況ではない。

 キメラ単体は勇者たちの敵ではないとはいっても、勇者側が無傷かというとそんなはずがなかった。

 

「回復こっちだ!」

「だれか止血を!」

 飛び交う救護要請に緊迫感が募る。

 魔法しか効かないモノ、腕くらいなら再生してしまうモノ、二つある頭を同時に攻撃しないと死なないモノ。キメラはそれぞれが固有の特徴を持ち、対応がパターン化できないらしい。

 

 キメラは必ず《予想外》の結果をもたらす。

 

 教科書にあった、説明の一説を思い出す。今はその一言がゾッと首を撫でるようだった。

 加えて、モンスターの攻撃に『一回ずつ順番に攻撃する』なんてルールは当然存在しない。勇者たちは複数同時に飛びかかってくる魔物の対処に追われている。

 数の暴力という魔物の猛攻は、人数の少ない人間側にとってあまりにも有効で、恐ろしいほど無慈悲だった。

 

 これは、現実の戦闘なんだ。

 モンスターの行動パターン、弱点が記された図鑑を見ている暇なんてない。特にキメラともなれば、出会った瞬間から新種なのが当たり前だった。積み上げられたデータなんて何の役にも立たない。

 

 これは、殺し合いなんだ。

 今更ながらに自覚する。魔物は倒さなくてはならない。でなければ、自分が殺される。分かりやすい理屈に、こんなに納得させられる。刃と牙がぶつかり合う命のやり取り。

 

 正直言って怖い。だがそれでも、

「でもやっぱり、来てよかったッス……」

 東四郎は後悔していなかった。むしろより一層、決意の瞳を強くする。

 目に入るだけで感じるこんな恐怖を、一般市民に感じさせてはいけない。平和に暮らす人々を、今この場所で己が守らなければいけない。

 

 自分もまた、勇者なのだから。

 

 歴代の勇者たちもそう思って戦っていたのだろうか。少なくとも、目の前で魔物を倒し続けている勇者とそのパーティたちは、同じ使命感を感じているように見えた。

 この場所が比較的市街地に近いこともあるだろう。振り返ればそこには、のどかな『義』の住宅街が広がっている。

 

 クロートには見ているだけでいいと言われたが、とてもそんな気にはなれない。

 オレも何かしなければ。役に立たとう。でなければ、何のために来たんだ。

 レベル1契約勇者、東四郎(とうしろう)・瀧(たき)は、まだ新しい鎧の傷をなぞり、新品の剣に手をかけた。

 大丈夫。近所に出没した魔物を退治するのと同じだ。

 部活で学んできた型通りにやれば、絶対倒せる。倒せる…!

 

「だあああああ!」

 近くにいたおぞましい姿の一匹――まだこちらに気づいていない――を、震える剣先で斬り捨てる。こちらに飛びかかってくる前に攻撃できた。怪我はない。

 次、次だ。まだいける。倒せる魔物だけ倒そう。それだけでも十分だろう。

 なんていったってレベル1だ。

 勇気があるのかないのか分からない言い訳を唱えながら、東四郎は体制を整える。

 

 そのとき聞こえてきたのは。

「いたぞ! ボスモンスターだ!」

 一つ隣の通りで戦っていた勇者たちの怒声。

 レンガが崩れ地面にぶつかる悲鳴。 

 

「こっちにくる!」

 東四郎もまた、反射的に注意を向けた。駆け込んでくる者たちが口々に状況を伝えている。

 だがそんな説明よりも、一目で分かる。分かってしまう。

 

「大きい……」

 

 哺乳類、鳥類、爬虫類、様々な生き物の部分的要素が垣間見える巨大な融合体が、小高い建物をなぎ倒した道路の真ん中で、東四郎を超然と見下ろしていた。

 何か言葉のようなものを発して暴れる姿を、東四郎は呆然と見上げる。

 

「はは……化け物だ」

 

 この世の生物という生物をぐちゃぐちゃに混ぜたようなイキモノ。それを前にして、いっそ笑いしか出ない。乾いた息が、虚空に消える。

 

「退け!」

 突っ立った東四郎の視界端を影が通り抜けていく。右側の頬に、遅れてきた鋭い風の塊が当たる。気が付いて目が追いかけた時には、勇者の一人が魔物に斬りかかっていた。

「ボーっとしないで!」

 声に反応して反対方向に首を振る。そこには黒いローブを着て、杖の先にエネルギーを蓄えた魔導士が、陣を描いて魔法を発動させようとしていた。

 前線空けるな! フォロー入れ! 左だ! 腕を切り落とせ!

 聞こえてくるさまざまな声。情報が錯綜する。

 耳に入った言葉に従い視線を動かすと、確かにいた。

 化け物の左腕。正しく言うと四本ある腕の中で左側にあるうちの片方に、ぐったりと動かない、白衣の人間が。

 

「……なんだこいつ! 剣が効かない!?」

「手だ! 腕に集中しろ! 被害者を救い出せ!」

 目まぐるしく飛び交う情報に意識が右往左往する。まるで会話のような怒声は鳴りやまない。

 

 その中で東四郎は、……やはり動けないでいた。

 この化け物を目の前にして、足が棒のように動かない。

 怖いのか? 違う。いや、違わないけど、動けないのはだからじゃない。

 

 どう行動すればいいのか、正解が分からなかった。そして自分が活躍すること以上に、自分が迷惑をかけない方法が分からなかった。下手に動けば、ほかの勇者たちの邪魔になる。

 襲ってくる小さなキメラを斬り捨てることはできても、それはただの自衛でしかない。目の前では勇者たちがどんどん駆け出していく。

 剣、魔法、あの手この手を使って攻撃し続ける。そして魔物の反応を見て、次の攻略法を編み出していく。

 

 それぞれが単独で行動しているように見えて、実はうまく連携しているのを肌で感じた。それに混ざる自信は……東四郎にはまだない。

 

 何もかもが、足りなかった。経験も知識も、……勇気も。なにもかもが、東四郎には足りなかった。

 

 魔物が腕を振り回す。邪魔だ、とでも言いたげなその衝撃で、近くにいた数人が弾き飛ばされた。その小さな背中を、視線だけで追ってしまう。

「東四郎!」

 ビクッ。ふいに、自分の肩が小さく跳ねる。背後に気配を感じる。

「……クロートさん…!」

 振り返ればそこに、わずかに怪我を負った先輩勇者の姿があった。

「お前、なんでここに……。いや、いい」

 クロートは新人の姿を見、一瞬だけ何かを考える。そして……ニィと笑った。

 

「絶望したか?」

 

 本当に勇者なのかと疑いたくなるような、凶悪な笑み。

 見据えるような、試すような視線が東四郎を貫く。

 だがレベル35によるその笑みは、どこか安心を生んだ。こんな状況でもその表情が現れることこそが、最後には正義が勝つことを予感させた。

 

「ぜつぼう……」

 東四郎は身の詰まっていない声で復唱する。

 絶望。それはつまり、ゲームオーバーを選ぶということ。あきらめるということ。今日歩み始めた勇者への道を、自ら閉ざすということ。

 

 東四郎は目に力を入れる。すぐさま口を開く。

「してないッス!」

 勇者でありたいと願う、決意の声。

「……そうか」

 クロートは満足げにつぶやく。そして今一度魔物に向き直ると、背負った大剣にすっと手を伸ばした。静かに言葉を続ける。

「いいか、よく聞け。今から十秒後、俺はあの腕を切り落とす。だからお前はあの人間を受け止めろ」

「えっ!?」

 いいな? と言い切った時にはすでに走り出していた。身の丈ほどもある大剣を片手で振り回し、クロートは魔物の爪を避けて飛び上がる。

「え、えっ?」

 あの腕、とはもちろん人間を捕まえているキメラの腕だった。

 

 剣は通用しないはずだ。東四郎がそう思った直後に、背後の誰かが叫ぶ。

「防御力低下の魔法を! 貫通しろ! いけるぞ!」

 分かった! と答えたのはクロートなのだろうか。

 やはり目まぐるしく変わる戦況に、東四郎の注意は振り回され続ける。

 

 それでも、使命感に従い、新人は足を踏み出した。

 怖い。巨大ななにかに近づくことがこんなに恐ろしいなんて。

 しかし、自分は任されたのだ。あの白衣の人物を受け止めること。それは最優先事項であり人命救助の要だった。足取りは頼りないが、剣を戻して走り出す。

 レベル1勇者の目の前で、レベル35勇者はキメラの攻撃をかわし着実に腕との距離を縮めていく。小賢しい男をつぶそうと襲い掛かる異形の腕を捉え、弾いて、さらに上へと上り詰めていく。

 

「はああああ!」

 

 力強い雄たけびに魔物の注意がそれる。

 チャンスは一回。

「火力は十分! 行くぜ奥義!」

 キメラの左腕に向かって落ちるように、クロートは大剣を振るった。

 

「宝威(ホイ)・攻(コウ)・琅(ロォ)ォォォ!」

 

 渾身の奥義名を必死で聞かなかったことにして、東四郎は化け物を見上げる。

 炎をまとった剣技。太く、鋭く、そして重い一撃が、とてつもない威力の余波を響かせて、魔物をとらえる。

 直撃。

 赤の軌跡を残して斬撃が目に映る。キメラが吠える。

 痛みに悲鳴を上げる化け物の様子は、その部分だけスローモーションに見えた。

 金属が肉を斬る嫌な音の切っ先から、魔物の残滓と……この事態に巻き込まれた白衣の一般人が落ちていく。無抵抗な二つは空中で分離し、地面へと吸い込まれていく。

 

「落ちる!」

 

 ダメだ、地面にぶつかる…! 見上げる誰もがそう思った最中、意識を失った力ない肉体に向かって腕を伸ばす影が。

「無事ッスか!」

 体全体をクッションにして白衣の体を受け止めた東四郎は、よたつく人物の肩をつかんでその顔を覗き込んだ。

「…………え?」

「新人! すぐに逃げろ! 来るぞ!」

 

 しかし安否確認すら待ってくれないのは、クロート……ではなく巨大なキメラだった。

 先ほどまでの攻撃など、力の半分も出していなかったのだろうか。今度はいきなり明確な敵意をあらわにして、キメラは東四郎を睨む。

 

「東四郎! 動け!」

 着地したクロートの指示などもはや聞こえてはいない。

 キメラは、攻撃した大剣男ではなく、呆然とたたずむ新人に狙いを定めた。振り上げた別の腕に鋭い爪が光る。

 

 あ、そうか、逃げなきゃ。

 

 その判断に至るまでが、遅かった。

 責めるような咆哮に呼応して、口元には魔力の強いエネルギーが集まっていた。

 ゴオオオォォォ。

 もうすでに魔法陣が発動を示唆している。発射直前なのが分かる。

 あ、まずい。

 死というものを理解するのはこんな時なのか。東四郎は脳の片隅、なぜか冷静に答えを出す部分が「このままだと、死ぬッス」とにこやかに告げるのを聞いた。

 

 まずい。

 まずい。

 

「…………っっ!」

 その場にいる全員が、ひきつった顔でこちらを見ている。

 

 まずい。

 まずい。

 

 ついに爪が眼前に迫る。ぎゅっと目をつむった。

 死――――

 

 

 

 ………………

 衝撃は、ない。

「……え?」

 東四郎はおそるおそる、目を、開ける。

 

「そうだよな! 《勇者》たるもの、魔物から逃げちゃだめだよな!」

 

 はきはきとした声が届く。目の前に、たくましい背中が見える。

 

「あなたは…?」

 

 健康的に焼けた肌。猛々しい腕の筋肉。そして神々しいばかりの、金の髪。

 思わずこぼれた質問に、その人物は首だけを軽くこちらに向けた。精悍な蒼の瞳が、楽し気にふんわりと歪んで、ニッと笑う。

 

「俺はレビン。レビン・アールヴヘイム! もう安心してくれ! 《勇者》がみんなを、世界を、救いに来た!」

 

 

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