Y.SO.12

 

「『かあさん』は俺に言った。キメラを倒し、すべてを救え、と。……守るんだ! この場にいるみんなを、街に住む人々を、人の未来を、世界を! 俺が、レビン・アールヴヘイムが、すべてを守る!」

 

 そのとき、東四郎の目にはただ一人しか映っていなかった。

 レビン、ってあの!? 筆頭勇者がなんでここに…! 本社から来たのか!?

 耳に入ってくる周囲のざわめきなど、本当にどうでもよくて。

 金の髪。深蒼の目。曲線描く褐色の腕が、業物の剣を握っている。

 キメラの爪をはじいた剣はいまだ魔物を睨んでいるが、深海色の瞳は希望にあふれ輝いていた。

 レビンと名乗ったその男は、改めて魔物に向き直る。口元に笑みをたたえ、真剣な声で謳う。

 

「ある時は、太陽新聞の熟練配達員!」

 

 何か始まった。

 

「またある時は、平和維持法人HERO本社の筆頭勇者!」

 

 空間が、しんと已む。

 

「しかしてその正体は…!」

 

 ゴクリと、喉が鳴る。

 

 レビンは目の前のキメラをすっと見据えた。剣の柄をぎゅっと握りなおして、その切っ先を、魔物の目に向ける。

 

「……泣く子も黙る老舗ラーメン屋『花道』のキッチンリーダーにして、都市最大の品数を誇るフラワーショップ『みねうちふぁんたじぃ』のカリスマ店員!」

 

「…………」

 それだと、本職がアルバイトになるが、いいのだろうか?

 東四郎は即座に浮かんだ疑問を、しかしややこしいことになりそうなので全力でスルーした。

 

「俺が来たからには、もう好きにはさせない。誰も傷つけさせない! この世界は、俺が守る!」

 

 グァアアアアア。

 勇者の宣言に呼応して、聞き取れない叫び声が旧市街地にとどろく。

 前方にはキメラの姿。

 そびえたつ巨体。

 身がきしむ威圧。

 相も変わらず、ただただ東四郎に狙いを定めている。

 

 腕を一本無くしたことなど、キメラには何のハンデにもなっていないように思われた。攻撃の手段を一つ失った現在の方が、より一層凄みを増している。

 明確な敵意。

 怒り。

 悲しみ。

 叫び。

 押し付けてくる殺気に晒される。しかしもはや東四郎に恐怖はなかった。

 

「怪我はない? もう大丈夫だから、少し待っててくれ」

 

 力強いセリフから、圧倒的な安心感をただただ享受する。ギュッと手に力がこもる。

 HERO公式の筆頭勇者は、新人を守るように前に出た。夕刻に差し掛かったまばゆい日差しが、ガレキと男を赤く染める。

 瞼は閉じることを許されない。東四郎の目は鮮やかな金髪に引き寄せられる。

 

「はああああああ!」

 立ち向かえ。行け。勇者のたくましい背中が、そう言っている。自分自身を鼓舞するように、周囲の士気を上げるように、レビンはただ前に進む。

 金の髪たなびく後ろ姿。新人はごく当たり前に期待を乗せる。未熟な瞳に光が戻ってくる。

 

「俺の剣は世界の希望! 俺の意志は世界への証明!」

 勝利の予感を沸き立たせる口上を、心に刻む。

 これが、勇者なんだ。

 今日一日で何度も感じた一言をもう一度かみしめる。

 

 憧れを伴う理想の姿が、東四郎に明確な目標の形を与える。

 失敗は許されない現実の中で、憧憬に輝く瞳の前で、……レビンは魔物の攻撃を避けなかった。

 キメラの爪を受け止めるでもなく、避けるでもなく、攻撃そのものを攻撃するように、筆頭勇者はその剣をふるう。

 

「世界よ、輝きを取り戻せ!」

 一閃。

 ザシュ。肉を斬る音。見上げた先には、衝撃と威力を合わせた斬撃。

 縦に一文字。キメラの体が裂けていく。

 硬く剣が通らないと言われた魔道兵器の肉体が、明らかな致命傷を負う。

 

「…………っ!」

 ぎゃああああああ。

 一拍遅れて、旧市街地につんざくような悲鳴がとどろいた。

 ……倒れた! おい、筆頭がやったぞ! これ成果報告していいんだよな? 

 耳に入ってくる周囲の歓声など、やはり本当にどうでもよくて。

 

 勝利の感覚。鳥肌が立った。恐怖は歓喜に塗り替えられる。

 やった、やったんだ!

 東四郎は圧倒的な力を褒めたたえようと本物の勇者に向かって手を伸ばして、そして。

 

「…………え、」

 ビクリ。その手のひらは、動きを止める。

 

「……なぁ、」

 

 痛みに暴れる魔物の様子を、レビンはこの上なく真剣に、ぞっとするほど冷静に眺めていた。

 勝利に沸く背後との絶対的な温度差が、青年に戸惑いを伝える。

 

 しん、と空気がやむ。

 深海色の眼は続けてゆっくりと口を開き、

「俺を、恨むかな?」

 キメラに向けて、静かに問いかけた。おもむろに剣を下げ、きわめて自然で親し気に、ぽつりぽつりと魔物に近寄っていく。

 

 何を言っているんだ? 魔物に勇者を恨む権利なんて。そもそも人の言葉が分かるのか?

 違和感が伝染した背後から聞こえてくる不安や疑問はもっともで、東四郎も同じく怪訝に目をゆがめた。

 そんな周囲を放って、レビンは再度魔物に向かって語り掛ける。

「俺を、人を、社会を、世界を、……恨んでくれていい。憎んでくれていい。なぜ邪魔をするのか、と思ってくれていいよ」

 

 静かな空気。一瞬の沈黙。そののちに。

 グラリ、と巨体が傾く。スローモーションの光景を黙って見守る。

 ついにキメラは力尽きた。

 ズシン、と地面に倒れこむ異形の肉体は、もう動かない。

 だが、左右違う種類の化け物の目はまだ死んでいなかった。かろうじて息を残す魔物の敵意すべてが、この男に向かう。

 

「でもごめんな。俺たち勇者だからさ、人間の敵になったものは、倒さなきゃいけない。人を傷つけたモノは、もう守ってやれないんだ」

 

 諭すように優しく、労わるように残酷な、勇者の声。

 キメラはぬるま湯に揺蕩うような安寧の言葉を、見定めるように、考え込むように、ただおとなしく聞いていた。異形の喉からこぼれ落ちる鳴き声は低く剣呑で、どこか諦めを孕む。

 

「…………」

 

 そしてゆっくりと丁寧に、次第にはっきりと、キメラはその敵意を収めていった。それは同時に、生きる気力も手放していくということだった。化け物は穏やかに目を閉じる。

 それが最期。

 自然の摂理から逸脱した異形の魔物は、土に還ることもできずに消えていく。灰が風に乗るように、崩れ落ちた肉が虚空へと消える。

 崩れ落ちた旧市街地。土埃と魔物の死骸が戦場に似つかわしく、日常から切り離されていた。

 跡にはただ、一人の勇者が残る。

 

「…………」

 誰も、口を開くことはかなわない。

 

 

 ――ピピピピピピ……

 

 しかしふと、コール音が空気を割る。

 すごい、全然空気読めてない。東四郎は感心するように目を見張った。契約社員の勇者たちもまた、誰だこんな時にと視線を交差させる。

 そして、ごそごそとポケットから小型の機械を取り出し、ボタンを押したのは。

 

「あぁ、先生? うん、うん、ちゃんと倒したよ。犯人の死亡を確認っと……。え? 先生こっち来るの? あー、うん。分かったよ」

 

 ピ、と最後に受話器のボタンを押して、レビンはきょろきょろと辺りを見回す。おもむろに腰のベルトに手を伸ばし、鞘の位置を整えた。妙に落ち着かないその様子を、新人は黙って見つめる。

 

 しかし、そんな筆頭勇者に遠慮なく声をかける者もいて。

「……おい、アンタ、これの原因知ってるのか?」

 クロートだった。

 

 大剣はいまだに片手に、疲弊した背中が東四郎の視界を遮る。口調が粗暴なのは分かっていたが、気性の雑さ以上の嫌悪感をにじませて、レベル35の先輩は筆頭勇者レビンを睨む。

 

「あれ? 聞いてない?」

 だがその害意を受けてもなお、レビンは穏やかにクロートを振り返った。怖い顔をした無精ひげを前に、屈託のない笑顔できょとん、と首を傾げる。

「そっかー、知らなかったのかぁ!」

 それから合点がいったように一人頷くと、たははと褐色の頬を掻いて口を開いた。明るい声が、からからと風に乗る。

 

「さっきのキメラさ、素材が人間だったんだよ」

 

 ……え。

 東四郎がぼろりと零した一言は、誰にもすくわれることなく。

 

 空気が凍る。しかしそんな空気は意に介さず、レビンはそのまま続ける。

「人間をベースに何種類かの動物を合成したみたい、って先生は言っててさ、だからそこそこ頑丈で、何かを伝えようとするような叫び声をあげてて、人を捕まえるだけの賢さがあったんだって」

 他人事のような言い方は、あまりにも軽すぎて。

 

「人、間……。お前、それを知っておきながら……」

 まるで、眉をひそめ非難するクロートの口調の方がおかしいかのように。

 クロートは一瞬だけたたらを踏み、ぎゅ、と唇を噛んだ。悔しそうに、口を開く。

「いや、確かに俺もさっきまでは、『誰でもいいから早く倒せ』と思っていた。キメラの素材がどうなったかなんて一切考えずに、だ。その俺に、お前の行為を否定する権利なんかない」

「……っ」

 

 苦々しく受け入れるクロートの言葉に、東四郎もまたこぼしそうだった言葉を飲み込む。

 そうだ。自分も非難できる立場じゃない。さきほど危険にさらされ、レビンによって命を救われた者こそが、まさに自分だった。

 新人勇者は先輩に守られるような位置で、先輩の肩越しに金色の髪を覗いた。細かい傷が見える右肩。この数時間で人と街を守ってきた戦士の腕だった。

 

「だが、お前は事情を知っていた。知っていながら、なんのためらいもなく…!」

 クロートは感情を吐き出し続ける。理論も何もなく、ただ整理のつかない衝動をぶつける。

 その言葉は一言ながら、鋭く、強かった。

 人は他人を責めるときにはこんな強い語気を込められるのかと、どこかぼんやりと思う程度には、先輩の考えは正論で感情的で、どうしようもなく優しかった。

 

「……あぁ」

 そしてレビンは一人頷くと、まっすぐクロートに向き直った。決して友好的ではない視線に晒されながらも、にっこりと微笑んで、とぅとぅと謳う。

 

「だって、あのまま放っておいたら、何の罪もない人々まで襲われただろう?」

 

 レビンは、選んだのだ。

 素材にされた人間への同情と、これから被害にあうかもしれない人々の苦痛を天秤にかけた。

 

「んーそりゃ確かに、かわいそうとか苦しいだろうなぁとか、いろいろ思うけど、だからって魔物がみんなを襲っていい理由にはならないし、助かる命と助からない命はちゃんと見極めて、被害を最小にとどめるのが勇者の仕事だろう?」

 

 その声色に、説得しようとする意思はなく、ただ当たり前のことを当たり前のように、それこそ「もう夕方だな」なんて分かりきったことを言うように、レビンはきっぱりと言い切った。

「むしろ、あの魔物がキメラなんだったら、もっと大事なことがあって、」

 そこまで言ってから、まだ言葉を続けようとした薄い唇が、ぴたりと止まる。深海色の目をすっとそらし、耳を澄ました。その様子は、やって来る誰かを持つようで。

 東四郎もまた、同じ方向に視線をたどり、そして。

 

「かわいい勇者のみんなぁ、ボス戦攻略お疲れ様よぉ」

 

 喉の裏側から絞り出したような、妙に黄色い重低音に、ビクリと肩を震わせた。

 

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