Y.SO.14

 

 人は、ヤツをこう呼ぶ。

 曰く『正義の味方』

 曰く『未来の英雄』

 曰く『ヒーロー・オブ・ヒーロー』

 そして『平和維持活動法人HEROの勇者筆頭』、と。

 

 《勇者》という職業のイメージキャラクターに抜擢された男は、快活な笑顔と圧倒的な実力で、一瞬にして一気に民衆の心をつかんでいった。メディアへの露出や総決算ラグナロクの出場による宣伝効果は大きく、今や勇者といえばあの男がまず頭に浮かんでくる程度には、その地位はゆるぎない。

 

「なんでダメなんだよ! ちょっと話したいだけって言ってるじゃないか!」

「アポイントのない来所はお断りしています」

「俺はヴィランズの頭首に会いに来たんじゃない。ミラージュ=アランっていう一人の男に会いに来たんだ。少し、本当にちょっと話すだけでいい。……なぁ!」

 

 行動。意思。実力。そして実績。すべてにおいて、この男なら何とかしてくれるという期待。この世界にとっての勇者の意義、存在理由、効果と証明をすべて引き受けてもなお余りある存在感。

 希望という名の重圧に勝ち、この男は正義を率いて世界を味方につける。

 

 レビン・アールヴヘイムという男は、誰よりも何よりも、ただ一言ひたすらに《勇者》だった。

 

「お引き取りください」

 非営利団体魔王軍組織ヴィランズの家事担当、リヴァイアサン・司(つかさ)は、魔王城の大広間を背景に、静かな断りを入れる。これ以上入り口で喚かれると、執務室にも届いてしまうだろう。司の懸念をよそに、だがレビンは引かない。

「だから、戦いに来たんじゃないんだって!」

 

 ……邪魔ですねぇ。

 柔和なエルフの笑みに、ぞっとする殺気が混ざり始める。うっすらと開いた瞼の奥に、血のような紅色が潜んでいる。

「僕らに話すことはありません。本日のラスボス戦は受け付けておりません。お引き取りください。帰れ」

 両者一歩も引かぬ押し問答。どくどくと流れる水掛け論は、干からびる気配を見せない。

 騒ぎは城の壁伝いに広がっていった。廊下を駆け回る魔王のしもべたちがなんだなんだと顔をのぞかせる。

 ……もう、いい加減にしてほしいのですが。

 いびつに整った笑みの形が、にっこりとおぞましく深まる。とぷんと音を立ててエルフの周囲に水泡が溜まっていく。手よりも精密に動く水の触手。勇者の腕をつかみ、肩を抑え、司は招かざる客を半ば強制的に追い返そうと。

 

「司、」

 

 階上の廊下から、至極冷静な声が、エルフを呼ぶ。

「アランさん……」

 司が困ったようにつぶやくのを、遮るように。

「アラン!」

 レビンが声を弾ませて、その名を呼ぶ。

 空高い快晴の今日、魔王城のステンドグラスからは表情豊かな日差しがさんさんと降り注ぐ。

 レビンは褐色の腕全体をぶんぶんと大きく振り、主人が返ってきた犬のように黒コートにかけよ……ろうとして、水の牢に阻まれた。それでも、喜色に染まった深蒼の目はキラキラと輝いて魔王を見つめる。

「アラン、久しぶりだな!」

 透明な牢をものともせず、レビンは顔をほころばせ話しかける。司の紅い瞳が、厳しく勇者を監視する。

「……俺、待ってたんだ。二十年、いや正確には十九年だけど、こうやってアランとまた話せる日を、俺は待ってたんだ…!」

 

 話したいことがたくさんある! 

 そういってレビンはとろりと目をゆがませた。嬉しそうに、安堵して、懐かし気に、待ち望んで、だが真剣な、さまざまな色を混ぜた表情が、まるで万華鏡のように移ろい、鮮やかに変化して、おぼろげな光を放つ。

 しかし。

 

「目的は、子供(ガキ)の身柄か?」

 

 牢屋の正面で足を止めた声は、恐ろしく冷たかった。

 ぴしり。冷気が空間を襲う。

「……っ」

 息をのむ蒼海色を、揺れる黒髪があざ笑う。

 この世界で唯一絶対の魔王は、おぞましい魔力を振りかざして城の大広間に降り立った。水に囚われた勇者を見据えた金の瞳は鋭く、冷たく、力強く、わかりやすい拒絶を表す。

「…………」

 圧倒的な感情の相違。その温度差をどこか分かっていたように、納得しながらも泣きそうに、一瞬だけ目を伏せたレビンは、しかしゴクリと受け入れて顔を上げた。ぐっと両目に力を入れ、慎重に言葉を選び、ゆっくりと口を開く。

「……違わない」

 でも、それだけじゃない。

 しかしそのセリフは最後まで言わせてもらえなかった。

「だろうな」

 きっぱりと言い切るアランの表情は、面倒な仕事を片付けているときのそれで。

 すべてを見通す黄金の瞳。

 なぜレビンがここにいるのか、何をしに来たのか、すべてを理解していると言外に告げている。

 相変わらずの聡明さ。絶対的な威圧感。

 レビンはゴクリと唾を飲み込む。

 

「あいにくだが、お前らが捜してる人間のガキはもう存在しない。この城にも、世界中の、どこにも」

 話は終わりだ。

 アランはレビンを放って一方的に会話を切った。コートを翻し、踵を返す。

「あ、待ってくれ! 俺には、俺はまだ…!」

 目を見開いたレビンの焦り声が吹き抜けの城に響いた。牢を抜け出した褐色の腕が黒のコートをかすめる。

 だが、一人で乗り込んできた金髪の勇者を助けるものなどいない。

 

 ここは魔王城。

 ラスボス戦にやってきた勇者から全財産を巻き上げる魔王が、世界を敵に回してでも生き続ける場所。

 

「知らん。帰れ」

「帰らない!」

 独りぼっちの勇者は引き下がらない。バッサリと一言で切って捨てる黒の影を必死に引き留める。今日を逃せば、次にこんなチャンスが回ってくるのはいつになるか分からなかった。

 

 ……アラン! 待ってくれよ!

 この十九年間。レビンはアランと話せる日をずっと待っていた。

 最初に出会ったのは総決算ラグナロク、決勝戦の日。あふれんばかりの歓声の中、『かあさん』の指示に従い、師匠の敵討ちとして、レビンは魔王に剣を向けた。

 結果は、引き分け。

 アランは強かった。勝てなかった。だがそれ以上に、この男がどれだけ「凄い男」なのかを、レビンは身をもって知ったのだ。

 ……理解して、しまった。

 なによりもその幼い優しさが勇者筆頭を十九年間魔王討伐から引きはがした原因なわけだが、そんな事実には一切触れずレビンはただ一心に魔王の名前を呼ぶ。

「アラン!」

 聞きたいことがあった。確かめたいことがあった。何よりも、自分の直感を伝えたかった。

 それが、やっと、やっと会えたのに。

 

「なんでそんな意地悪するんだ!? アラン! 一体いつからそんな悪い奴になったんだ!?」

 

 ピタリ。魔王の足が、止まる。

「……いつからも何も、最初からだが?」

 魔王相手にお前は何を言っている?

 振り返るアランの表情は、これまで見たことがないほど嫌悪に歪んでいて。

「嘘だ! 俺の知る限り、アランはすごく強くて、すごく立派で、……なんか凄い奴なんだ!」

「説得下手かよ。というか、お前は俺の何を知ってるんだ?」

 お前と会ったのこれでまだ二回目なんだけど。

 呆れ顔の冷静な声が飛ぶ。

 

「……『太刀筋は、言葉よりも雄弁だ』」

 

 レビンは黒の影をまっすぐ見つめていた。すがすがしい海のような目が男を飲み込む。

「これは師匠の言葉で、俺の信条なんだ。一度でも剣を交わせば、言葉よりも明確に、文字よりも一瞬で、相手を理解できる! 十九年前アランと直接戦って、俺はヴィランズ頭首の太刀筋を知っている。魔王の覚悟も意志の強さも感じてる! ミラージュ=アランっていう一人の男は、悪とか正義とか関係なく、凄い奴だってことを俺は知っている!」

 その言葉は力強く、決意と自信に満ち溢れていた。

「魔王とか勇者とか、敵対する必要なんてない。いがみ合って戦う運命なんて存在なんてないんだ! ……なぁ、俺たちは分かり合えるんだよ!」

 むしろもう親友だろ! なぁ、そうだろアラン! 

 最後に名を呼び掛けて、レビンは瞳を輝かせる。金髪の髪は陽の光をキラキラ反射する。たくましい褐色の腕がいや応なしに包容力を感じさせ、握ったこぶしがアランの同意を誘う。

 

「……言いたいことはそれだけか?」

 

 しかし、ゆっくりと口を開いたアランの声は、やはり恐ろしいほど冷たいままだった。

「俺は別に、お前と分かり合いたいとは思わない」

 明確な拒絶。

 魔王は腕にかかった輪を手に取る。赤く正六角形の形をしたそれは、うち一辺から刃を、対辺から柄を現し、矛となって魔王に隷属する。

 王の言葉は続く。

「なにをごちゃごちゃ言ってやがる。お前ら勇者は、何も考えずに黙って俺を倒しに来りゃいいんだよ」

「そんなの嫌だ!」

「良いか悪いかの話じゃない」

「それでも嫌だ! 俺は、アランとなら仲良くなれるって、信じてる!」

「…………」

 話にならない。魔王ミラージュ=アランはぼそっとつぶやく。

 めげないわね。いつの間にか傍まで来ていた魔女が、同じく小さな声でこぼす。

 さっさと殺してしまいましょう。とでも言いたげな司の笑顔に同意と制止の相槌を打ち、アランはすぅと勇者を見定める。落ち着いた口調ながらも、臨戦態勢は崩さない。

「仲良く、なれるかなれないかは問題じゃねぇ」

 黄金の瞳に力が宿る。

 

「問題はやるか、やらないかだ。そしてやりたいかどうかだ。俺は別に、お前と分かり合いたいとも、仲良くしたいとも思わない」

 

 はっきりと言い切った。

 これが結論だった。

 ぐっと言葉に詰まったレビンが、まだしかしあきらめのない輝きを灯して顔を上げる。

「なんで……」

 声に力が入る。

 折れない決意を秘めた目に、静かにたたずむ魔王の姿が映った。

 

「なんで分からないんだ! 《魔王》と《勇者》なんてシステムがあるから、必ずどちらかが傷つき敗れ、絶望することになる。本当は、こんなシステムなくていいんだ。勇者たちは魔王にすべてを奪われる必要なんてないし、アランも勇者に命を狙われる必要なんてない!」

 いがみ合って戦う運命なんて、やっぱり存在しないんだ!

 レビンの主張はあまりにも必死で、短絡的でわがままで、そして残酷で優しかった。泣きそうに歪めた目が、ひたすらにこの世界全ての平和と幸福を願っている。それは、……魔王であっても。

「こんな、誰かが必ず苦しまなきゃいけない連鎖を止めるんだ! 俺は『勇者の義務』を負わない。ほかの勇者たちにはできなくても、俺なら、俺とアランならできる! だからっ、」

 

「……だから、お前のそういうところが嫌いなんだ」

 

 しん、と已(や)んだ空気に、ポツ、と水を打つ。

 ゆっくりと、しかし有無を言わせない口調で言葉を挟んだ金色の目は、珍しくも確実な敵意に満ちていた。ひたひたと這い寄る危機感。毒々しいまでの魔力が、ぞわりぞわりと空間を浸す。

「…………え」

 レビンの表情が、変わる。

 

「十九年前、お前が何を言ったのか、もう忘れたのか?」

 アランの脳裏に浮かぶ、金髪の男の明るい声。

 戦う前は魔王好みの恨みと憎しみの目を向けていた褐色の大男は、試合を引き分けた後、アランの目の前で剣を収め、蒼海色の目をキラキラと見開いて、至極楽し気に口を開いた。

 

『なんでアランは魔王なんてしてるんだ? そんな、倒されるための役目なんて、どうしてする必要が? こんなことをしなくても、アランは強くて、賢くて、仲間がいて、意思がしっかりあって、……十分に凄いじゃないか!』

 

 おそらくただの疑問で称賛だったであろうそれは、魔王の必要性を揺るがしかねない一言だった。

 そして同時に、アランの人生そのものを否定した一言だった。

「あの後、お前んところの会長がすぐに『勇者への希望と期待』を煽ったから多少はましになったものの、俺らは得意先に再度説明する羽目になった。長年かけて培ってきた『魔王軍組織の存在意義』、その信用が一気に崩れるところだった…!」

 その人件費が、いくらになったと。

 株式会社バスター510のキメラ対策室のように、魔王軍組織だからできる仕事というのは意外に多い。それらの仕事はすべて先方から持ち掛けられてきたものだが、アランが《悪》として築いてきた実績でもある。アランが魔王でなくていいのなら、ヴィランズが請け負っている依頼事業の多くが、ヴィランズでなくてもいいことになる。

 

「加えて、なんだその、魔王であることがかわいそう、みたいな言い分は。必要がない? こんなことをしなくても? ……勝手なことを言うな。お前に何が分かる。俺は《魔王》と呼ばれた。ならば、《魔王》で居続けてやる。それが王たるものの務めで、俺の意志だ」

 

 それは、かつてみことに告げた、アランの矜持。

『人は俺を魔王と呼ぶ。それはもう、一種の期待だ。世界は俺に魔王であってほしいのさ』

『俺は、世界が、嫌いだ。人間も』

 魔王にふさわしき力と意志を持った瞬間から、アランは魔王だった。それで十分だった。

 レビンは言葉に詰まりながらも続ける。

「俺は、すべての人を助けたい。アランだって救いたいと思ってる!」

「それが傲慢なんだよ! だれがいつどこで助けてほしいだなんて言った?」

 俺が《魔王》をさせられているとでも? 人を勝手に不幸にするな!

 そう声を張るアランの顔は凶悪極まりなかった。告げると同時に大振りに空間を薙ぎ払った片腕は、その指先にまで力が入り、まがまがしいまでの意志は強く、怒りに満ちている。

 魔女も魔神も何も言わない。だが冷たい瞳で勇者を見つめるその立ち振る舞いが、魔王と意思を同じくしていることを表していた。

 

「だが、何よりも腹が立つのは……、」

 アランはそこで一度セリフを止める。

 呼吸を落ち着け、穏やかに、平静に、一度伏せた聡明な目を、光に晒す。滾々と暗く光る黄金の怪しい輝きが、レビンを射抜く。

 じゃらり、首から滴る二本の鎖が、おぞましく笑った。

 

「何よりも気に食わないのは、お前が『勇者の義務』すら負わないこと。責任も負わずに口先だけで《勇者》を語ることだ」

 

 言葉を切ると同時、ついにアランの矛が牙をむく。構えろ、と抜刀を許可する魔王に、しかし勇者筆頭レビン・アールヴヘイムは首を横に振る。

「違う! 俺は、戦いに来たんじゃない!」

「それがもう《勇者》の行動じゃないんだよ。勇者ってのはな、この魔王城に、魔王を殺しにやってくるんだ」

 勇者は魔王の命を奪う権利を得る代わりに、敗北の際はすべての財産を魔王に捧げる。魔王は戦闘に自分の命を賭け、勝利の際は勇者の有り金をすべて奪う。

 

「これは、正当なビジネス」

 

 仕事としてこの場所に来れない者を、俺が相手にすると思うな!

 アランの一喝が大広間の石の壁に響いていく。身が震えるような鋭い一言に、まず小さく声を出したのは司だった。

「……そういえば、この人アルバイトの身分でしたっけ」

 納得したような嘆息は、空間にしんと溶けていき、

「いいえ。司、違うの」

 だがその理解もツナミの否定に阻まれる。

 錆浅葱色の瞳が見据えた先には、神妙な顔で息をのむ金髪の勇者。

「あたしが調べたから間違いないわ。あの子、レビン・アールヴヘイムは、親が勇者組織の会長、家が平和維持活動法人HEROの本社という、生まれも育ちもヒーローにふさわしい、存在そのものが勇者って感じの男の子。でも、その裏には一つのからくりがある」

 

 勇者が来た、と報告を受けてから、ツナミは真っ先にレビンの行動ルートをたどった。昨日の報告書で今日来るにしても、早すぎる。勇者組織本社がある『毘』から魔王城まで、いったいどれだけあると思っているのか。何かしらの計画的な犯行か、それとも野性的な直感が働いたとでもいうのか。

 そうして出た調査結果が、「本日、勇者筆頭がビラ配りのバイトで『義』の街に来ている」、と。

 

「アルバイターなのは事実だけど、それは勇者業とは全然関係ないの。あの子、実家暮らしだから稼がなくていいのよ。家が生活を保障してくれるから、アルバイトは全部自分の小遣い集め。そして、」

 ツナミは、この事実を知ったときのアランの表情を思い出して、同じように顔を暗く歪める。

 

「レビンにとって、勇者の仕事は実家の『家事手伝い』に過ぎないわ」

 

 

Colmun