Y.SO.14

 

「やめろよ! なんで姉弟で争ったりするんだ!?」

 

 キィン、と刃を交える音を立てて、視界を菜の花色が占めた。

「なっ…!」

 空気が変わる。

 目を見開くアランを守るように、たくましい褐色の腕が剣を握ってそして。

「お前は……」

 あのミネルヴァが、距離をとった。

 姉と弟、どちらの攻撃もお互いに届かないその中間地点に、男は剣を構えてすっくと立ちあがる。ぎゅっと引き締まる蒼海色の瞳。表情に作り出した精一杯の敵意は子供のようで、それ以上に、なぜ戦わなければいけないのか、の迷いに満ちていた。

「なんでアランが殺されなきゃいけないんだ?」

 橙色の光に照らされて、勇者筆頭レビン・アールヴヘイムはミネルヴァに向けて声高に訴える。

 だが、そんな問いと答えに価値などない。アランはすぐさま入り口付近に目を向ける。

 司は? 何でコイツが…!

 レビンが今魔王の目の前にいるということは、水の牢を振りほどいてきたことに他ならなかった。勇者を捕らえていたエルフは今どこに…?

「…………」

 一方でミネルヴァは、勇者筆頭の必死な糾弾にも特に何かを感じた様子はなく、ただ黙って子猫の威嚇ごとき警戒の表情を眺める。

「……」

 そのざくろの色の目に、今度は魔王へ親しげに話しかける勇者の姿が映った。

「あ、魔神さんなら、さっき夕食の仕込みに行ってたぜ」

 軽く振り返ったレビン当人から、放っておかれた数分の出来事が配膳される。快活明朗な笑顔を添えて。

 なんでお前が答えるんだ。

 そう言うはずだった男のセリフは「あぁ、そう……」の一言に上書きされた。

「……アランさん! 無事ですか!」

 遅れて鈴の声が届く。食堂の奥から駆け付けた安否を案じる声は、切り離された液体の姿を見て薄く目を開いた。崩れている。僕の牢屋が? 決して斬ることができない、水の牢が…?

 司、と呼びかけるアランの声が聞こえた。非難ではない。アランもまたこの牢屋の頑丈さは知っている。だがそれも破られた。危険を促す黄金の視線が紅玉の瞳と交差して、……途切れる。

 

「愚かな人形。お前は問うたな。わたくしとこの愚弟が、なぜ殺し合うのか」

 

 テンペスト=ミネルヴァが、動いた。

「俺は人形じゃない!」

「おだまり。アリスの子飼いなど、愚かな人形で十分。ぬるま湯に浸って身を亡ぼすがよくってよ」

 強い語気。意味は分からなくとも、決して口答えを許さない断定。さすがのレビンも黙るほかない。だが剣呑な視線が納得はしていないことを伝える。それでも、黙らされた。

 解答を授けよう。

 ミネルヴァの覇気纏う声が城の大広間にしんと溶け込んでいく。

 なぜ姉弟が殺しあうのか。

 

「答えは一つ。……理由などない」

 

 誰も、その答えに異論を唱えることはなかった。

 勇者筆頭レビン・アールヴヘイム以外は。

 そんなことがあるはずない! レビンは即答で叫ぶ。理由のない殺し合いなんて、傷つけあって何になるんだ! 

「だから、最初っからそうだって言ってんだろうが」

 怪訝につぶやいた言葉が勇者の背中を射抜く。嫌悪に歪めたアランの顔が、何度も言わせるなと告げる。

「魔王ってのは、この世界で唯一『何の理由もなく殺されてもいい』存在。……まぁ、だからと言っておとなしく殺されてやる気は一切ないが」

 淡々とアランは告げる。もう何十年も前から、魔王の役割は変わっていない。そしてこれからも、変えるつもりはない。

 受け入れる、と考えていたのは最初のほんの数年だった。もう今となってはこれが当たり前になっている。

 勇者は懇願するようにアランを見る。その眼は泣きそうに美しく、一方的なきれいごとを並べ立て、正論を押し付けて平和を願う。……魔王が最も嫌う色をしていた。

「ついでに俺が姉を殺す理由も無い。無いけど殺す。お互いがそういう存在だからな」

「アランまで、……なんで」

 蒼海色の瞳が悲鳴を上げる。それはつまり、殺されることに理由がないということ。殺すことに理由がないということ。そしてそれを、標的である魔王本人が疑問に思っていないということ。標的である姉が疑問に思っていないということ。

 レビンには理解できなかった。

 そんな殺伐とした関係が、よりにもよって肉親間にあるなんて、まったく理解できなかった。

「理解なんてする必要ねぇぞ」

 驚き惑う金髪の幼子に、アランの言葉は冷たくのしかかる。

「ただ、受け入れなさい」

 ミネルヴァの言葉が重く続ける。

「…………」

 だがそれでも、レビンの目から光は消えなかった。

「…………なら、」

 迷い、嘆き、一度絶望してもなお、勇者は再度剣を握りしめる。腕を振り上げ剣を抱えた男の体は、体格よりも凛々しく見えた。

「なら、俺が、そんな関係壊してみせる! 争い合うその目を、笑顔に変えてやる!」

 堂々と言い放つレビンの瞳に、力が宿る。

 

「俺は決めたんだ! 目の前にいる人々を、街に住む人々を、人の未来を、世界を! 俺が、平和維持活動法人HEROの勇者筆頭レビン・アールヴヘイムが、すべてを守る! 世界から争いをなくす。世界中の誰もが、笑って過ごせるように!」

 アランは絶対に死なせない。そしてあんたも、絶対に殺させないし死なせない!

 

 レビンの言葉には、理論なんてものはなかった。ただの願望だ。それだけならだれでも言える。

 アランは馬鹿らしいと目を細めてつぶやき、ため息を一つついて距離をとった。殺すつもりで矛を構える。標的は姉と、レビンもろとも。

 ミネルヴァも同じだろう。殺しあうことが、自分とこの女の関係すべてだった。奥に力をたたえる瞳をギラリと光らせ、魔王は刃に殺気を乗せる。

 

 だが、同じく武器持つ女は、今日初めて表情を変えた。

 

「そうだ。勇者たるもの、そうでなくては困る!」

 そう言い切ると、淡い色のルージュが、爛々と輝くざくろ色が、ニィィと笑みを作る。

「今ここに、ようやく、役者はそろった! 今日、世界は変わる!」

「姉貴…?」

 何をする気だ? アランが眉間にしわを寄せてその一挙一動を追う。そして姉が一度だけ階上に目をやったのを見て、そして。

 

 気付いた。

 

 ミネルヴァは、待っていたのだ。レビンが、ただの男ではなく、勇者組織の代表になる時を……この瞬間を待っていた。

「ツナミ!」

 アランの強い声が、踊り場に控える魔女を呼ぶ。

「……分かってる!」

 すぐさま動く薔薇の花。魔王は満足げに頷いた。かつての二の舞にはさせない。

 おそらく、ここからが姉が城に来た本当の目的。アランもまた口端を吊り上げる。そういう目的なら、悪くない。

「情報屋連合コーツに、リアルタイムで垂れ流せ!」

 

 この女は今日、本人の言う通り、世界を変えに来たのだ。

 

 アランはごくわずかに目を細める。見上げた先の人影。ツナミが起動させる機材の隣にはみことがこちらを見下ろしている。その腰にしがみついた……光反射する鉱石の結晶。

 玻璃也(はりや)。

「…………」

 アランは視線を前方に戻す。

 世界の監視者、テンペスト=ミネルヴァは告げる。

「ここにわたくしは宣言する!」 

 この場には、世界唯一の魔王と、世界代表の勇者がいる。この二つの機関が認めてしまえば、世界はどうやっても無視できなくなる。

「絶滅した? 失われた? そんなこと、あるはずがなくってよ! 今一度、世界は思い知るがいい!」

 証拠はそろっている。

 公開する用意もできている。

 

 いくら平和維持活動法人HEROが隠そうとも、事実は隠せない。

 

「合成技術は消えない! 生み出されし化け物は世界に息づいている! ……この世界に、大陸に、キメラは今なお存在するわ!」

 

 

 

 ――キメラ。漢字にすれば、合成獣。

 2体以上の異なる個体を生きたまま分解し、一つの個体として再構築する。そうして生まれた新生物は、素材となった生物もともとの特徴を受け入れ、展開し、新たな特性を持つという。

 それは異種交配や品種改良とは異なり、全く新しい化け物の誕生を意味していた。

 

 『この技術を使って生み出されたものは、必ず《予想外》の結果を産み落とす。一つとして例外なく、創造者の予想を越えていく』

 

 世界初のキメラ合成を成功させた科学者による格言。この言葉を信じ、世界は空前のキメラブームに包まれる。

 様々な生き物が素材にされ、合成され、それは人間も例外ではなかった。人さらいが横行し、秘密裏に研究所へ引き渡された。時代背景的に、戸籍の管理が追い付いていなかったこともあるだろう。様々な人間、特に子供が実験の素材にされた。

 その実状を重く見たのが、時の英雄ヲリヴィヱ・ヨトゥンヘイム。

 彼は研究者たちの非人道的な行為を嘆き、怒り、その権威と威光を余すことなく使って、キメラ研究所のほとんどを解体させた。

 

 一度、世界からキメラは消え去った。

 

 それが百五十年以上も昔のこと。

 だが、ガーディアンという巨大組織に管理された合成理論は、その後ガーディアンの崩壊とともに解放されてしまう。

 一度確立した技術はゼロには戻らない。違法と知りながらも隠れて研究を続ける者は、実際に存在する。今も世界のどこかでは新しいキメラが細々と生み出されているという。

 なのに、世界はその事実を公表することができない。

 

「理由は一つよ。……かつての《英雄》の功績に傷をつけることになるから。それだけ」

 

 魔王城の踊り場で欄干にもたれかかり、ツナミはぽつりと理由を紡いだ。その眼は階下をまっすぐ見据え、口元には笑みが浮かぶ。これから起こるは大事件。湧き上がる興奮が治まらない。髪に紛れた赤い薔薇が、今日一番の花盛りを迎える。

 ……キメラの存在が暴かれ、《英雄》の顔に泥塗ったとき、非難を浴びるのはあの勇者組織「平和維持活動法人HERO」だった。

 《英雄》の遺志を受け継ぐ、とは聞こえがいい。ガーディアンが崩壊してから七十年。放ったらかしにされていたキメラの完全管理に名乗りを上げたのが、HEROという組織だった。だがその時にはもう遅い。すでに技術は流出した後、社会の裏側でキメラの構築理論が広がってしまった後だった。

 しかし『完全消滅に成功』と謳い、事実となっていたものを、今更『実は不完全でした』とは言い出せない。その責任、世間の批判は勇者組織に向かう。

 そこでHEROは、キメラの存在を隠ぺいすることに決めたのだ。

 

「勇者たちはキメラの証拠隠滅に躍起になってるでしょ? キメラの現状を公開しないのは、勇者組織による圧力が働いてるの」

 

 といっても、ちゃんと気付いているところはとっくの昔に動き出している。株式会社バスター510のキメラ特別対策室など、実は業界の新参者に等しい。アランのパイプには、もっと歴史あるキメラ対策業者も、ちゃんといる。

 言いながら、ツナミは緑色の指をぴんと立てた。分かった? と念押しで首を傾げる花人を、幼い二人が呆けたまま大口を開けて見上げている。

 ……ちゃんと分かっているのだろうか。

 ほぇーとしか言えていないみことの間抜けな顔に、ツナミの背中を汗が流れる。

「みこと、」

 そんな時、ふと神妙な顔をしたキメラの子供が、膝丸出しのズボンを引っ張った。くしゃ、という音につられて視線を下げると、右目を覆うクリスタルが角持つ身長150センチメートルをにらんでいる。

「みこと、キメラの存在が公開されたら、いったい何がどうなる」

 ……えっ? ほうじ茶色の大きな目がさらに見開いた。

「あ、あー、」

 なぜツナミに訊かない。みことが言葉に詰まる。

「……キ、『キメラ撲滅記念日』の祝日が、一日なくなるのだ」

「馬鹿」

 ツナミは即答でバッサリと切り捨てた。だが、みことに予想できるのはこれぐらいである。目の前の小さなキメラは、質問を列挙してなおも続ける。

「みこと、あの女は、なんで今急に言い出したんだ」

 ブリリアントカットされた爪先が指し示す先には、ハルバードを持つ鎧の女。ドレスのリボンを振り回し、大立ち回りを演じる。

「…………」

「……」

 みことは眉を下げる。ツナミは目をすぅと細める。

 それはきっと……。

「それは、今後の世界を見てたら、きっと分かるわ」

 だがツナミは、玻璃也(はりや)本人にその事実を伝えはしなかった。

 …………

 ……

 刻は夜に差し掛かっている。ずいぶんと長い一日だった。

 本日キメラの存在が公認されれば、実に百六十年ぶりの快挙となる。アランもいつかは、とは言っていたが、時期を見合わせている最中のことだった。

 情報屋の性が残っているのか、ツナミはこうした事件っぽい事件になると途端にテンションが上がる。明日のグラムノートを見るのが楽しみ。他人事にそんなことを思いながら、生の事件現場をもう一度見下ろす。

 そして、気づいた。

 ……あれ? 先ほどまで広間にいたあの不機嫌な男が、いない?

 そう思った、次の瞬間。

 

「玻璃也(はりや)」

 

 すぐ隣で、キメラを呼ぶ声が、する。

「アラン?」

 とっさに名前を呼んだのはみこと。つい先ほどまで広間にいた男がいつの間にか目の前にいることが信じられないようだった。ツナミもまた驚きはしたが、こちらはどこか納得もしている。

 魔王は、……迎えに来たのだ。

「玻璃也」

 もう一度、静かに名前を呼ぶ。

「ま、魔王……。おれに、何の用、」

 少年は当然のごとく身構えた。身構えて、おびえて、後ずさる足を抑えて、精一杯黒を睨む。

 魔王城に来てから一年。少年は、初めて魔王から話しかけられた。これまで何度殺しに行っても歯牙にもかけなかった相手が、自分を、自分だけを見ている。

 アランは尋ねる。

「お前は、まだ俺を殺したいか?」

 少年は言いよどむ。

「……っ」

 これに「はい」と答えたら、自分はどうなるのだろう。怒られるだろうか、殺されるのだろうか。だがそう思った時点で、自分が魔王の顔色を窺っていることに気づき、慌てて目に殺気を込める。

「あ、当たり前だっ!」

 威勢のいいその返答に、アランはふっと微笑んだ。そうか、とつぶやき片膝を曲げて、鉱石輝く少年の右目と視線を合わせる。

「悪いな。見世物にするのは正直不本意なんだが、……恨んでいいぞ」

 アランの口調は穏やかに、しかし早急だった。その眼は優しく、そして強かった。

「……? なんの話、」

「どこにいても、お前は魔王軍組織ヴィランズの一員だ。それを忘れるな」

 アランの手が伸びる。ぽんぽんと二回キメラの頭を撫でた手は、しかしすぐに離れた。

 少年は男を見上げた。魔王は穏やかに、楽し気に、笑っている。この一年、この男を見続けて、キメラは知っていた。この男は、日ごろどれだけ苦しそうでも、辛そうでも、最後には必ず笑うのだ。

「魔王、いったい、なに、」

「俺を怨めばいい。恨んで憎んで、いつか強くなって、そしたら」

 

 俺を殺しにおいで。……待っててやるから。

 

 

Colmun