Y.SO.14

 

「勇者レビン・アールヴヘイム。お前は何のためにこの魔王城に来た?」

 

 鈍色の鋭利な切っ先が、金髪の男を指名する。

 情報を公開するのは鎧の女。そしてそれを可能にするのは、音声をそのまま送り先に転送する最新機器。魔王城の大広間は、いつしかミネルヴァによる会見の場となっていた。

 レビンが唐突な話題の矛先にたたらを踏む。

 

「俺が、来たのは……そうだ、行方不明者が、」

「そう! 今日勇者筆頭が来たのは、死亡届の上がってこない行方不明の子供を探すため! しかしその子供『タクヤ・ガレット』は魔王城にいないという!」

 ぎっ、と鋭いざくろ色の目が蒼い海を飲み込む。

 

「……これが、どういうことかお分かり?」

 

 レビンは、ただ首を横に振ることしかできなかった。本当に分かっていないのかどうかなんて、おそらく判断できはしない。あの状況、あの空気では、ぶるぶると首を横に振るのが正解なのだと、ミネルヴァの全身が脅迫していた。

 ミネルヴァは大振りに手を動かし、白の手袋に包まれた指先を勇者に突きつける。

「つまり、その人物は、もう人間でいられないということ!」

 ハルバードが天を向く。先端についた槍の切っ先が、指し示す先。

 

「……さぁ世界よ。見るがいい! お前たちが隠してきた世界の真実が、今ここにある!」

 

「…………」

 魔王城の荘厳なステンドグラスを背景に、一人の男が立っていた。黒のコートを翻し、首から滴る二本の鎖がじゃらりと音を立てる。

 そして、その脇に抱えられたシルエットを見て、レビンの表情が変わった。

 子供だ。幼い子供が、魔王の手に捕まっている。小さく「放せ」ともがく様子に、「助けなければ」と反射的に足を踏み出す。

 が、その子供は普通ではなかった。レビンの足が止まる。額と腕が、通常ではありえない光の反射をしている。

 ガタガタの輪郭線。ギラギラと目を眩ます。それはまさに、異形の証。

 アレは、なんだ?

「気づいたかしら。あれが、お前たちの探している『タクヤ・ガレット』」

 アレも、キメラ。人と同じく言葉を話し、人と同じく思考し、人と同じく生きていようとも、アレは人の手によって無理やり生まれ変わった、魔物。

 

 溶け込むように告げた鎧の女は、染み込むように世界を嗤う。

 ハッと声を荒げ、勇者を通して、世界に向けて言い放つ。

 

 それは宣戦布告だった。

「よく見るがよくってよ! キメラは何十年も前から、我々の世界に息づいている!」

 ミネルヴァの言葉は常に力強かった。遠くで聞いている玻璃也がビクンと体を震わせる程度には、一挙一動がすべて世界に訴えていた。

「そんな、キメラは、だって、魔物だって……」

 一方でレビンは、生まれて初めて目の当たりにする。

 今まで倒してきた人を襲うだけの魔物ではない。見るからに化け物だと決めつけてきた合成獣ではない。不良品でも、失敗作でもないそれは。

 それは、『成功作』だった。

 それも人間の、明らかに人である要素を多分に残したキメラだった。

 見開いた蒼海色の目の奥に、かつて自分が口に出した言葉がよみがえる。

 

『でも、創られてしまったキメラは、もう殺すしかない。俺たちは世界を守る勇者だから、次のことを考えて、……切り替えなくちゃいけない』

 

 殺すしかない? こんな、ただの子供を?

 レビンの首が再び緩く横に惑う。同じキメラでも、これは魔物とは思えな――

「あら、わたくしは別に、キメラを魔物扱いするななんて言う気はなくてよ?」

 ガシャン。レビンに詰め寄るように、鎧の女が一歩進み出る。

「キメラは魔物。そこに異論はない。でもおかしいでしょう? いくら魔物でも、存在しないように扱われる理由はあって?」

 正面に立つ淡い色のルージュが、ニィィと艶やかに笑う。

 さぁ、いいかげん認めるわね?

 同意を誘うように、女はレビンに向けて手を差し出した。

 

 これこそが、テンペスト=ミネルヴァが魔王城に来た目的。

 世界公認の勇者筆頭によって、キメラの存在を認知させる。

 あの絶滅神話に、終止符を打つ。

 

 これまで勇者組織HEROは、かたくなにキメラを否定してきた。存在を否定し、疑惑をもみ消し、真実を告げる声を糾弾して潰してきた。

 キメラの事件はここ近年で隠せないほどに増えている。世界中で話題になるのも時間の問題だったかもしれない。だが一方で、勇者のやり口を何とかしないことには多くの真実がもみ消されていくのもまた、予想できる未来だった。

 

 だからミネルヴァは、勇者と世間にキメラを認めさせる強行策に出た。

 

 今や巨大組織の頭首となった魔王ミラージュ=アランと、世界にとっての勇者の顔であるレビン・アールヴヘイムが、「キメラは在る」と認めてしまえば、世界中の人間が信じざるを得ない。

 二階にセットされた機材をちらりと見る。

 今朝みことが設置し、現在ツナミの魔力で起動しているあれは、この「生の声」をそのまま報道するための装置だった。オレンジ色の作動ランプが点灯し、順調に動いていることを伝える。ねつ造も偽装もあり得ない。この魔王城は、真実のみを公開する。

 

 そのために証拠も用意した。

 それが、「玻璃也」。見た目が異形のまま、だが殺す必要のないキメラは都合がよかった。手っ取り早く、明らかで、言いがかりのつけられない証拠がそろったからこその計画。キメラの周知のために利用させてもらう。

 ミネルヴァに良心などない。

 さて、青二才はどう出るか。ウェーブのかかった髪が、ふわりと揺れる。

「…………」

 沈黙が落ちる。数分の静けさが何時間にも感じられた。伏せた青がどんな表情をしているのか、今は読めない。

「…………」

 そして苦しい閑静の時を制し、ついに勇者の口が、再び開く。

 

「……俺も、なんでそんなに隠さなきゃいけないんだろう、って思ってたんだ」

 

 その声は、一周回って驚くほど穏やかで。

 レビンは、人々の生活を守る正義の活動が、まるで悪事のようにこそこそと行われている違和感を思い出していた。

 キメラは魔物だ。だから、勇者が倒すべきなんだ。そう言われたのに、その成果は秘匿される。正義を執行し人を助けても、魔物がキメラだった場合はその正義すらなかったことにされる。

 それは二年前に言っていた中堅勇者のセリフ。

 『一般には、すでに滅んだ技術、と言われているのが合成獣だ。だが、その認識を続けてこられたのは、ひとえに勇者たちがキメラの証拠を隠滅してきたという功績に他ならない』

 ……だが、本当に隠し通す意味はあるのか? 存在を明かした上で、勇者がちゃんと倒した方がみんな安心するんじゃないか?

 何故なんだ? 人のために良いことをしているのなら、堂々とすればいい。

 

「いるよ。キメラは、まだこの世界にいる」

 

 世界の事情や風潮操作とは無縁の、純粋な疑問と正義心。

「……でもアンタが言うように、キメラなんてただの魔物にすぎないんだ! 人を脅かす魔物は、俺たち勇者が絶対に倒す! 世界の平和は揺るがない!」

 レビンは世界の誰よりも正義感にあふれ、誰よりも勇者らしい勇者だった。そうなるように育てられた。ゆえに、悪に対しては融通が利かない。

 勇者筆頭のセリフはキメラの存在を裏付ける。同時に、これまでのHEROの発表が、虚偽であることを証明してしまった。

「希望を持ち続けるんだ! 勇者の力は、等しく世界のためにある!」

 ミネルヴァは勇者を利用できる機会を見逃さない。

 おそらく、平和維持活動法人HEROの会長、アリスは、レビンが来ればこうなることを予想していたのだろう。前回のラグナロクが終わってから、彼女は勇者筆頭が魔王城へ行くことを、決して許さなかった。

 ……だからこそ、少しの隙を縫って潜り込むように、レビンは必死になって会いに来てくれたわけだが。

 ミネルヴァは内心でほくそ笑む。あの女の悔しがる顔が目に浮かぶ。

 

 今この瞬間、人に造られた化け物は、再び世界に認められたのだ。

 

 機材が止まる音がする。主要機関に情報を公開するのはここまでだった。

 レビンは思いもしないだろう。今日この発表が、一体世界でどういう意味を持つのか。

 サリ、とドレスが床をこする音が響く。女の代名詞ともいえるハルバードは、いつの間にか変形し髪留めへと姿を変えていた。弾むように揺れる長い髪をまとめ上げ、淡いルージュに笑みを乗せて、ミネルヴァは城の奥へと勝手に足を進める。残る仕事は、あと一つ。

 

「なんだ、ただの青二才かと思ったら、ちゃんと役に立つじゃねぇか」

 その代わり大広間に降り立ったのは、傍観していた魔王だった。

「……アラン!」

 蒼海色の目が黒を呑む。見上げた先には自然に光を反射する二本の鎖。コートがたなびく。黄金が輝く。血痕残る「ぽろしゃつ」Tシャツを着替えることなく、親友と呼ばれた男は、様相を変えた城の大広間に足をつける。

 夜が更けていく。

 昼間はさんさんと光を注いでいたステンドグラスは、今はシャンデリアの明かりを拡散する役目を担っていた。そして大広間の白い壁に浮かび上がる魔王の影。その雰囲気がなんとなく変わっているような気がして、しかし真実は黒のコートが覆い隠す。

 

「アラン怪我は、」

「『人を脅かす魔物は、俺たち勇者が絶対に倒す』、なぁ……、感謝を述べよう。これで俺は、また一つ《倒されるべき理由》を手に入れる」

 眉を下げる勇者は最後まで口に出すこともかなわない。

「え…? アラン、やっぱり、倒される必要なんて、」

「当たり前だろ。殺されてやる気なんて毛頭ねぇよ」

 金の流し目が褐色の肌を見据える。嘲るように肩をすくめる。

「じゃぁ、どういう……」

 レビンの疑問を遮るように、機嫌の直った男はニィと口端を吊り上げる。ご丁寧にも親切に、回りくどく簡潔に、言い放つ。

 

「さぁ、終わりを始めよう」

 

 唐突なそれは、開戦の合図。

「え? えっ!?」

 殴りつけんばかりの殺気が、勇者を襲う。

 誰から? 決まっている。

 魔王ミラージュ=アランの色のない視線が、勇者の目を射抜く。

「アラン! なんでだ!? 戦う理由がない!」

 吹き抜け式の大広間。レビン・アールヴヘイムの焦った声。

 対してミラージュ=アランは、一歩また一歩と足を進める。悠然と、嗤う。

『勇者と魔王が殺しあうことに理由は必要か?』

 余裕の微笑みとはまた異なった、楽しくて仕様がないと言わんばかりの笑顔。狂ってしまった、化け物の笑み。

『……答えは、否』

「理由なんて、なくていい。俺は魔王。お前は勇者だ。『勇者は魔王を倒そうとする、魔王はそれを迎え撃つ、そこに理由なんて、本当はいらない』」

 アランは思い出す。

 責務を。

 役割を。

 覚悟を。

 姉が来るといつもそうだ。ミネルヴァに殺されかけるたびに、アランはより一層《魔王》であることを自覚する。数々の言葉でけなされながらも、その役目を、誇りを、改めて思い出す。

 長いようで短かったアランの生存期間。姉とは、そう頻繁に出会うわけではなかった。

 だが会う時の状況はいつも同じ。いきなり、唐突に、人生の要所要所に現れる、魔王にとっての災厄。

 

『勇者を殺すことはおろか勝つこともできず、そのうえ城から取り逃がすような、愚かで情けなく脆弱で誇りなき魔王なら、この世界には必要なくってよ!』

 

 だが、その災厄はいつもアランに訴える。あの横暴で乱暴な死合が、言葉が、一挙一動のすべてが、魔王としての覚悟を問う。あの斧の一撃が、殺気が、死を前にした危機感が、魔王に生き残れと命じる。 

 さぁ、剣をとれ。そう易々と、倒されてはやらないがな。

 言葉と同時に、黒のコートがぶわりと広がった。正面に見えるコートの裏地は、血のような紅。

 

「アランなんで、もうやめてくれよ! 戦いに来たんじゃないんだ。俺は、アランとなら分かり合えると思ってる! なぁ、そう言っただろ?」

「うるさい。お前の意思なんてどうでもいい。お前が勇者で、俺が魔王である限り、俺たちは戦うことになる!」

 

 ミネルヴァと会うと、アランは思い出すのだ。自分は何だったのかを。

 姉は弟に、魔王を求める。

 世界にふさわしい《魔王》になれと、気高く訴える。

 アランは矛を掲げる。うだうだと理論をつけすぎていた。単純な話だ。勇者と魔王は殺し合う。ただそれだけ分かっていればいい。生き残れ。唯一の手段は簡単な話だ。勝てばいい。圧倒的な力で、すべてをねじ伏せろ。

 魔王城に来た勇者、ならば魔王は排除しなければいけない。

 アランは心を沈める。そうだ、感情を殺せ。結局のところ、頭が冷め切った今の状態が、最も冷淡に、最も残酷に、そして最も現実的に、《魔王》の名を体現する。

 黒いブーツに埋め込まれたオレンジ色の宝玉が、ぼんやりと光を放った。

 

「我が名はミラージュ=アラン。魔王と呼ばれし化け物は、万斛(ばんこく)の力をもって、数多の屍の上に、君臨する!」

 

 一方レビンは、唐突な戦いの空気に呆然と立っていることしかできなかった。

 なんで。違う。俺は今日、戦いに来たんじゃない。さっきまで話し合いで終わってたじゃないか。なのに、なんで今、こんなことに。

 だが、自分の体は戦いに反応する。

 矛からの一閃。

 翡翠色が描いた軌道に、衝撃波が走る。キィィィンと甲高い金属音が伝って、そして。

 ガシャァァァン!

 衝撃が、ぶつかる。

「アラン! やめよう、俺は戦いたくない!」

 土埃と瓦礫が晴れる。

 砕かれた床。傷ついた大広間。

 シャンデリアの明かりに身を映したレビンは、……ついにその剣を抜いていた。

「戦いたくなんか、ないんだ……」

 身を守るために抜いた片手剣が初めて疎ましく見える。出す気はなかった。アランと自分が手を取り合えば、世界はもっと良いものになる。そう言いたいのに、行動と言葉が一致しない。

 つたない足掻きとして、レビンは自分から攻撃を仕掛けることはなかった。刀身をだらりと下げ、制止を説く。なんでだよ。小さくこぼした焦りが、魔王の耳に届いた。

「向かってこないのなら、死ぬだけだ」

 縦に振り降ろされた長柄の得物が、レビンの脇をかすめていく。

 打開策が見つからないでいた。

「どうしたら…………」

 

 戦うために魔王城に来たわけじゃない。

 傷つけ合いたいわけじゃない。

 突如として襲ってきた魔王。淡々と攻撃を繰り出すようになったその表情からは、感情が消えた。それが、何よりもレビンにはつらかった。

 強いなぁ。強いけど、……寂しいよ。

 今日、来てすぐに怒られた時、嫌悪に澱めく金色に睨まれても、レビンはどこかうれしかった。だって、アランはアランとして答えてくれた。アラン個人の感情で、意見で、理論で、自分と会話して相手してくれた。

 だが今はどうだ。この攻撃は、殺気は、魔王ではあるがアランではない。

 あの日、総決算ラグナロクで、レビンが「また話したい」と思ったのは、ただの魔王ではなくミラージュ=アランという一人の男。気高くしなやかで、聡明で偉大で、組織のことを真剣に考えている、尊敬すべき時代の先駆者。

 自分が生まれるずっと前から《魔王》という職業を一人で担ってきた男は、いくらレビンが親友として肩を並べたいと言っても、レビンにとっての憧れであり目指すべき社会人の目標だった。

 攻撃の鋭さは増すばかり。さばき損ねた剣圧が褐色の頬を斬り刻む。

 レビンの目が惑う。

 数歩先で魔王が矛を振りかぶった。しなやかで鋭い刃先が目の前に迫ってそして。

 

 ……勇者は、決めた。

 カキィィン。

 金属音を響かせ、菜の花色の髪がしなる。振り上げた刃は一撃で矛をはじく。

 剣を突き付け、ぴんと伸ばした右腕を左腕が支えていた。その独特の構えは代々アールヴヘイム家に伝わる流派のもの。よく日に焼けた両腕に、さらに力が入る。

 ついに蒼海色の目が、黒をつかむ。

 カラン。

 翡翠色の得物が遠く地に落ちた。黄金色の剣呑な瞳が一瞬だけ驚きに染まって、しかし直後楽しげに嗤う。やっとやる気になったか、そう言いたげな目を無視して。

 レビンの真剣な声が、魔王城に響き渡る。

「俺が、本当のアランを取り戻す! なぁアラン、目を覚ましてくれよ!」

 ……その返事は、背後から聞こえた。

 

「ダメよぉ、レビン坊ちゃん」

 

Colmun