Y.KA.02


 コツコツコツという足音に対して、ガタガタガタとどこからか返事がくる。
 時刻は昼前だというのに、石と化学薬品でできた無機質な建物は光を受け入れておらず、自分の足元も見えない。

 それでも確実に進むことができるのは、まだ発光している機械がちらほら存在するからだった。
 ぼんやり灯る光に照らされ伸びる影が、ところどころ破れた配線と合わせて、壁にいびつな模様を生み出す。

 壊されまくった実験機材。散乱した埃まみれの記録用紙。思ったより近い天井の配線が軋みを上げる。
 金属とガラスの塊。ガラスを伝って落ちる謎の液体。
 緑色の液体、というだけで無駄に感じる嫌悪感。理由は特にない。生理的なものだ。

 人気のなさも頷けるほどの、絵に描いたような廃墟。
 そこに、ミラージュ=アランはいた。

「……ホント、よく残ってたな……」

 独特の化学薬品臭がうっすら漂う中、ぽつりと呟く。声色は関心をわずかに含み、眉が上がる。
 アランが思っていたよりも、廃墟は原型をとどめていた。
 確かに中の機材はほとんどが壊され、撤去もされないまま残っているという由緒正しき廃墟だが、ほかの事例を知っている分、まだきれいに思える。建物に入る、という感覚すらもうないと思っていた。

 ここは、かつてアランが所属していた組織が管理する、研究施設の一つだった。
 アランも、なんの研究をしていたのかは覚えていない。ただ、一度連れてこられた覚えがかろうじてある。
 せめてその時のことを思い出そうにも、当時の自分は重要な情報だと思っていなかったらしく、生物系の何かだったことしか思い出せなかった。

 役に立たんな、と自分宛てに言葉が漏れる。
 事実、あの時の己は若かった。それはもう、子供だったと言い切る程に。

 今日アランがここに来たのは、魔王城の保管庫で、ある資料を見つけたからだった。懐かしい社判が押された、もう存在しないはずの冊子。

 12年前、世界を支配していた組織の社判。世界中に目と耳を持っていたその巨大な組織は、かかわっていた人物・施設・記録をほぼすべて破壊し、終わりを迎えた。当時を知る者も、当時を記す物も、今やほとんど残っていない。
 その中で、この研究所の資料だけが存在している。

 だから、来たのだ。
 関連するほぼすべての物証を、記録上にも物理的にも消した中で、この場所の資料だけ残す。アランには、それが無意味なことには思えなかった。
 といっても、資料はページの大半が抜け落ち、すり切れてぼろぼろ。「観察記録」や「経過報告」という文字は見えるが肝心の研究対象がなにかについては、一切謎。

 そんな眉唾物の情報と、数枚の紙束を頼りにして、アランがここに来るだろうと、残したものを気にして見に来るだろうと、あの人は予測していたのだろうか。
 かつての上司を思い出し、若干眉をひそめる。

「あの人の手の上で踊らされてるのだけは、勘弁してくれよ……」

 まんまと来てしまった後で言えたものではないが。
 拠点からも遠いこんな場所に来て、収穫なしでは本当に笑われる。
 ただでさえ慢性的に人員不足の現組織。人件費削減のため一人で来たのが良かったのか悪かったのか。

 アランは、研究チームのイニシャルを冠した物言わぬ扉を、眼の端で確認し、奥へ突き進む。開いている扉は多少入って辺りを見渡すものの、基本的には通路を通って行くだけだ。
 ずさんな探索、そう見えないこともないが、アランは適当に動いているのではなかった。

 残された資料のうち、かろうじて読めた箇所によると、責任者の名は「テレス」。だが、どうせ責任者などこの状況で生きてはいまい。生きていても、この場所にいるとは思い難かった。

 そしてもう一つ。資料の中でたびたび出てくる呼び名。「M‐03」。研究対象の名だった。おそらくMは研究チームのイニシャルだろうと勝手に予測する。

 

 だから今、Mを冠した扉を探している。
 生存率0%、と言われた絶対破壊の中で、生き残っているとしたら、人間ではありえない。

 燃やし尽くしたはずの資料を残し、施設の原形をとどめ、その奥に生存しているとするならば。残っている何かを、アランに気付かせるためだとすれば。
 小馬鹿にしたような笑顔を浮かべるかつて上司を再度思い出し、アランはわかりやすく顔をしかめた。

 奥へ行けばいくほど暗くなるのだろう、との予測に反して、逆に明度は増していた。地下への階段を降りてからはまだ生き残っている機械が明らかに多い。
 湿度と明暗の調整を兼ねた装置が、うっすらと故障を主張しながらも空間全体をぼんやり照らし出し、足元どころかコート裏地までもが緋色に色づく。
 ずさんなのはここの破壊の方だろ、と頭の隅で張り合う。
 比べようがありません、と言ってくれる者は誰もいない。人件費は削減したからだ。

 壁や天井も破損が少ない。急に歩きやすくなった地下の通路を、アランは速さを上げて進んでいた。
 もともとの研究所らしい姿を残した最奥、つきあたり。「M」と書かれた大扉の前に立つ。
 取っ手のない金属製の扉は、壁に取り付けられたコード認証で開く仕掛けのようだった。当然ながらアランが解除コードなぞ知るはずもない。

「壊せば開くだろ」

 迷いが一切なかった。

 脚に沿う形のタイトな黒のズボンが振り上がる。橙の宝玉がついた硬質のブーツが振り下ろされる。
 アランの首輪から滴る二対のチェーンが、じゃらりと音を立てて揺れると同時。
 金属と靴がぶつかったとは思えない打撃音を挙げて、扉がくぼむ。

 扉のくせに頑丈な、と言いながら、再び脚を曲げる。グググと、胸につきそうなほど折り曲げた左脚は、追撃。
 頑丈じゃなきゃ扉になりません。と言ってくれる者は誰もいない。人件費は削減したからだ。
 二回の蹴撃。扉のけたたましい悲鳴の末。Mの文字は、もう、読めなかった。

 壁沿いに衝撃が伝わったのか、通ってきた通路の照明が、ジジジと不快な音を立てる。故障したのかもしれない。まぁ元々生き残っているのが不思議なくらいだったが。
 そしてその不穏な音すら消えていくとともに、ゆっくりと落ちていく照明。黒ずんでいく視界。

 アランの対応は早かった。もともと光があるとは思っていなかった場所だ。暗くなるのはむしろ道理。
 しかし、完全に明るさが消えるより先に、扉の奥の光景を見ておきたかった。そのために噛み合わなくなった扉に手を差し込み、やはり強引にこじ開ける。
 アランの目の前に、目的としていた大部屋が、全貌を現した。

「……コイツが?」

 照明が完全に落ちた後も、そこは暗くなどなかった。
 確かに部屋全体の照明はもう潰れていて、明度で言えば明るいとは言いがたい。ここで特売のチラシを読めと言われたらお断りしていただろう。
 そのうえで、アランが「暗くない」と思ったのは、中央の実験機材がぼんやりとした光を発しているせいだった。

 部屋はこれまで見かけたどの部屋よりも広く、どの部屋よりも機械が少ない。大がかりな機械が中央に一つ。ほかの機材もすべてそのメインコントロールにつなげられている。

 そして、それらのシステムもすべて、培養液の中で眠る実験対象のためのもの。
 探していたモノ、資料に残っていたアランの目的そのものが、そこに、いた。

 


業務その2『新人採用と研修』

Column

【アラン】 職業:魔王。

好きな食べ物は、甘いもの。嫌いな食べ物は、青汁。

 

イラスト:キーマさん